国分寺崖線のハケ下に水の湧く地が多いことは、皆さんのよく知るところでしょう。平成15年(2003)1月に発表された「東京の名湧水」57選にこの地の湧水が多く選ばれている。

びっくりすることがあったのは大正時代に、小金井の貫井神社の湧水(57選の一つ)で50mプールを造ったことです。青年会の活動が活発であった大正期、小金井村貫井支部では神社の豊富な湧水を活用したプールを建設することになった。しかも長さ50m、幅16.5m、深さ1~1.6mの大きなプールを、勤労奉仕により大正12年(1923)3月に起工して7月に開場式を行ったと言うから、その早さに驚く。(年月及び数値については、「小金井昔ばなし」小金井市教育委員会による)完成後、関東大震災の影響はどうだっただろうか。
5ヶ月足らずで完成させたのち、青年会で管理して2,3年は無料で開放していました。その後は、年間大人30銭、子供15銭の会員券を発行することになった。しかし昭和40年代後半(1970~)以降は、民間が造った都内で一番古いプールも利用者が減り、管理する氏子総代や氏子会も経営不振に陥った。
昭和48年(1973)当時、小金井市が市民プールとして借り上げる、また、釣り堀案があったが協議が整わず、昭和52年(1977)10月神社の整備完成とともに駐車場として生まれ変わった。
図書館の職員でたまたま貫井にお住まいの方からのお話では「貫井はいいところです、プールに入りましたがとにかく冷たかった」。湧水じゃ冷たいだろうなと納得。それにしても当時の青年会の馬力には敬服するばかりだ。
樹木が生い茂るハケを背に中腹に鎮座する貫井神社、すがすがしい雰囲気に包まれている。湧水口は本殿の左脇にあって流れを見ることができる。創立は天正18年(1590)貫井弁財天が前身と伝わる。
ハケ上に別荘跡を開放した「三楽の森公共緑地」があるとのことなので、神社からの急坂をゆっくと歩く、登りつめると突き当りに小金井第四小学校がある、ここを右に折れて60mほどでこの森に着く。三楽集会所の門の奥が入口となっている。
大正期は三菱合資会社総理事の江口定條(さだえ)の別邸であった東京都殿ヶ谷戸庭園をはじめ、ハケの斜面を利用した別邸が人気となり、著名人が国分寺や小金井に邸宅などを構えた時代であった。ここ三楽の森も、日本電気(株)(NEC)の創業に関わり監査役を務めた前田武四郎(1867~1931)が大正8年(1919)小金井村に転居、その後この地を購入した。郷里の新潟にあった醤油醸造業者の家屋を大正13年(1924)に移築し、三楽荘という邸宅を建設したところです。
小金井市が借り受け平成4年(1992)5月に「三楽の森公共緑地」として開園(約6,040㎡)した。遊具などなにもないところがいい、中央の緩やかな斜面の広場や高木そしてハケ上から南方の眺め、風が抜けて夏はきっと涼しかったに違いない。築年が先ほどのプールの建設と近いので、ハケ下のプールで遊ぶ喧噪が耳に入っただろうか。いや、泳いだかも?
当時、前田氏は徳富蘇峰(ジャーナリスト、「國民新聞」を主宰など)や頭山満(自由民権運動に参加、アジア主義者、村野常右衛門らと「大日本国粋会」を設立など)と親交があり、3人で憩う場所という意味で「三楽荘」と名付けたと言われる。
藤棚やノイバラの棚もあって花の4・5月を楽しめるでしょう。もう一度来たいところだ。
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