関根神社と日枝神社

八王子市大和田町1丁目にある関根神社と4丁目にある日枝神社を訪ねました。

関根神社

関根神社は粟須(あわのす)村(現小宮町)の名主関根家の先祖関根筑後守光武、その息子若狭守行久を祭神として祀った神社です。関根家の人々によって守られて来ましたが、明治28年(1895)に法人登録され、現在は、素戔鳴(すさのう)尊を祭神とする村の鎮守として祀られています。この神社には日枝神社が合祀されていますが、大和田4丁目にある関根一族の総社日枝神社から勧請されました。

日枝神社

日枝神社は祭神を大山咋神(おおやまくいのかみ)とし、山の神、地主(とこぬし)の神として崇められています。国道20号に沿って小高い丘の上に建つ大和田町の日枝神社は、江戸の町が栄えるに伴い、赤坂日枝神社を総鎮守とする日枝神社が各地に分祀されたもので「山王さま」と呼ばれ崇拝されてきました。現在の社殿は昭和50年(1975)に造営され、今も厄除け、商売繫盛、病気平癒、合格祈願等村の守護神として崇められています。

粟須村と大和田村

大和田町は小宮町が粟須村といった頃、大和田村といい、関根神社のある1丁目は下大和田村、日枝神社のある4丁目は上大和田村でした。

関根家のこと

関根家は「武州児玉党麻葉の庄司の嫡孫、天正18年(1590)北条氏滅亡後、旧領粟須に土着、郷士となる。」と伝わります。土着以来名主を勤めましたが、当主関根傅次郎の長男の関根政五郎光信は画号を関文川という絵師として活躍し、代表作に島津侯の依頼により、孝明天皇の弘化元年(1844)16歳であげた元服式の模様を描いた『大内図鑑』があります。また、政五郎の息子関根嘉門は若水という医名を持ち、徳本流という漢方医学を学び、名主の傍ら医師として活躍しました。

参考: 「八王子の歴史と文化 第24号」八王子市郷土資料館

    「石川周辺の歴史」 立川秋雄

    日枝神社境内の由緒書