
猛暑を逃れた気持ちになった高尾山自然研究路1号路の緑陰
吸水するアゲハとバームクーヘンの地層
高尾山自然研究路の1号路を登った。いつもながら歩き始めて間もなく脚が重くなり、息が上がった。巨大な太さと見上げる高いスギが現れ始めたころ、湧き水で濡れそぼった路面に張り付くように黒い羽根のカラスアゲハだろうか、吸水していた。近づいても逃げないのは人通りが多いことに慣れているからか。高尾山で大型のミヤマカラスアゲハを見かけるというが、どちらもアゲハチョウの仲間だ。登坂の角度が増した研究路は右に急旋回する。ここで地層が露出しており、異なる地層が見られる。まるでバームクーヘンだ。地層の角度は、急に上向きになり、この地点で地面が隆起したことを示す。ここに「六根清浄」と刻んだ碑があった。ここから先へは体力と気力を振り絞り、富士登山のように胸の内で六根清浄とつぶやいていた。

吸水するアゲハチョウ
金毘羅台園地(標高約363m)に着いた。一休みだ。ここは、いつもながら展望が効くポイントだが、気温30度を遥かに超しているこの日は、期待したほどの展望はなかった。冬季の好天には南東から手前の西側にかけて東京湾、東京タワー、新宿、東京スカイツリー、池袋、八王子がパノラマで展開するはずが、八王子市街地のビルや家屋がジオラマのように重なっていただけだった。
リフトの山上駅(標高約463m)、観光客でにぎわうケーブルカーの高尾山駅(約472m)をやり過ごした。もう一つ、高尾山名物でもある「たこ杉」もチラ見して通り過ぎた。当方の、きょうの目的は「さる園」でサルの動きを楽しむことだ。
山上で暮らす92頭がいるさる園
さる園は、正式には「高尾山さる園・野草園」という。サルを飼育展示している施設と季節の花々が楽しめる山野草が一体的に楽しめる施設だ。昭和46年(1971)8月1日に「高尾自然動物センター」として開園した。現在の名称になったのは令和元年(2019)10月1日。

飼育員が追悼の意を表したネッシンの写真展

傾斜になったさる園園庭で思い思いに一日を過ごすサルたち
現在、さる園には二ホンザルが92頭(雄49頭、雌43頭)いる。今年2月27日に5代目ボス・ネッシンが亡くなり、さる園1階ホールではネッシンの活躍ぶりを振り返った写真を展示していた。ネッシンは29歳9か月間、生きた。正義感が強く優しい性格が他のサルから慕われて平成15年(2003)にボスの座に着いた。以来23年間、さる園で喧嘩が始まると、仲裁に入り、位の低いサルを、身を挺して守った。その優れた行動力が仲間から絶大な信頼を得ていた。その一方、子ザルたちに優しく接し、面倒を見ていたという。
ボス修業中の息子と母ザルの威厳
ネッシンに一番好かれていたのは雌のテント(2004年6月19日生)。いわばネッシンの元彼女だった。いまも序列は2位だ。テントは自分の子に優しい。だが、悪さをする他の子ザルにも容赦なく怒る。いま、さる園はボスの座を巡る争いがないのはテントの存在の大きさと、6代目ボスの修行中である、序列1位にいるトロロの親がテントだからか。トロロは平成22年(2010)5月24日に生まれた。体格が良く、さる園一番のモテ男だという。信頼される6代目のボスになるために日々、修業中だそうだ。

先を競うことがなく飼育員から餌をもらうサルたち
早い朝の陽を腹に当てる
昼寝は横になるサルだが、夜には安全のために座って寝る。猛暑で疲れ気味なサルたちだというが、朝は早い。日の出とともに目覚めて動き始める。冬の朝も変わらない。朝一番の行動は、太陽に腹を向けて温めることから一日が始まるらしい。サルたちは飼育員が出勤する朝8時半が待ち遠しく、飼育員の姿を見ると、朝ご飯はまだか、とサルたちはうごめく。朝ご飯は、サツマイモや野菜、果物もあるそうだ。ただ、元々、野生の二ホンザルが棲むところにはバナナがないことから、あまり食べさせないという。厄介なのは手に入るバナナは糖分が高く、サルが虫歯にならないように調整して与えているという。

毛づくろいをするときも子ザルを真ん中に入れて
朝ご飯の後は、三々五々、ペアになったサルたちは互いに毛づくろいに余念がない。体の毛に着いたゴミやフケを取り合う。いわば、お化粧タイムか、と思いきや、飼育員曰く、サル同士の挨拶や愛情表現なのだそうだ。
ほほ袋にあった早食いのわけ
さる園の観覧舎2階の屋上に上がると、サル山が一望できた。比較的斜度がある園庭には吊り橋やバケツを下げた遊具のブランコやパイプだけのポールが立っていたり、天頂には砦風のレンガ仕立ての建物がある。それぞれ思い思いに陣取り、走ったり、追いかけたり……。小振りの池に誤って落ちてしまう子ザルもいた。売店で売っていたサル用のビスケットを投げる見学の親子もいてにぎやかだ。
そこへ園庭にやってきたのは飼育員。午後1時半ごろから始まるランチタイムだ。この日は大豆と小麦だった。飼育員は、バケツに入れた餌を園庭に行き渡るように手で撒いた。サルたちは両手を交互に使って餌を口に運ぶ。その速さに見とれた。

飼育員が食べ物を持っていることを知っているサルは飼育員の動作を見つめる
飼育員が話すには「両手で一生懸命に口に運んでいるが、人間のように胃袋に直接入れているわけではない。口に入れた食べ物を顎の両側にある『ほほ袋』に一旦貯めて置き、少しずつ、ほほ袋から口内へ戻して噛んでいる」と解説していた。
ボスの元彼女フタバの品位
そんな矢先に1頭のサルが飼育員に跳びつくように襲った。飼育員がバケツに入れていた餌とは別にウエストポーチに入れていたものを奪ったのだ。一瞬でファスナーを開けて餌を奪う早業だった。「あの娘の母も手癖が悪かった」としつけの難しさを話した。
その一方で飼育員はボスの元彼女だったフタバに「おいで」と声をかけると、ゆっくりと近づいた。「この子は、自分が餌を欲しいという催促がましい表情をしないが、私が差し出してやると手を出して穏やかに受け取るんです」。飼育員は、こうも言った。「サルたちは、私たちを自分より下位に見ているんです」と。

うだる暑さの中でも毛づくろいに甘んじるサル
サルの社会は序列社会だという。上下関係が明確なのだ。時折、近寄ってきた相手方のサルに口を開けて歯茎をむき出しにしている様子を見た。敵対しているのではなく、敵意がないことを示す表現なのだ。人間社会でいうところの苦笑いをして白旗を揚げて退散するのに似ている。無駄な戦いをしないことは、下位のサルには命を守ることに繋がり、群の秩序を守る合理的な方法なのだろう。
じっとしていない子ザルたち
今年生まれたばかりの赤ちゃんザルが4頭いる。飼育員は「全部のサルの顔と名前が分かります」と胸を張る。まず4頭の幼いサルは、ヤクモ(6月26日生)、セイロ(6月29日生)、レモン(7月8日生)、スイカ(7月8日生)。どれも体毛が薄い。片手に乗りそうな小さい体。ブランコに乗ろうと挑戦する赤ちゃんザルが思うようにならない。だが、諦めず何度も挑む姿は滑稽だった。それぞれの母親が何気なく子ザルから目を離さない。親の温もりと目配りを感じた。

ブランコに横座りで乗りながら“天下”を眺めるサル

一人遊びをする子ザル(右端)から目を離さない母ザル(中央右向き)
飼育員におやつをねだったり、盗むことがあるサルがいたり、娘と孫と一緒にいることが多いおばあちゃん、前を歩いただけで怒るサル、子ザルが好きなお調子者もいる。ジャンプが得意で飼育員が持っているバッグのチャックを開けてしまう悪賢く器用な奴、テレビに出演した経験があるサル、腰が低くいつも端っ子にいるサル、スケートのイナバウアーの格好が得意なサル、呼ぶと返事をすることもある猿人と、さる園内では、どこかで奇声、嬌声が聞こえたり、走り回るなど、サルの百態が見られて時間を忘れさせた。

僧侶専用門の奥に建つ客殿
修行の山伏が編み出した料理
高尾山本来の一面も体験したくて薬王院への参道を歩いた。幹回り5m以上、高さ50mもあろうかという巨杉の並木では涼風が頬を撫でた。趣がある客殿へ向かった。精進料理をいただくために。客殿の玄関、階段、廊下、壁はすべて板張り。修行の一環で磨き上げた廊下を歩いた。床は差し込む光に鈍く照り輝いていた。

頭上に太い梁が渡り、磨き上げられた客殿2階の廊下

彩り豊かで目を愉しませ、ひと手を加えて丁寧に作り上げた味が口中にやさしく広がった「高尾膳」
薬王院では古くから修験道の霊山として山伏が修行を重ねてきた。そうした山伏の考えを取り入れて編み出したのが精進料理だ。この日いただいた「高尾膳」には山の生きものをはじめ、人々が育てた素材を食材にして、彩り豊かに作り込んだ料理を前にした。じゅんさい、きゃらぶき、なすの煮浸しと麩、切り干し大根、にんじん添え、胡麻豆腐、刺身こんにゃくと蓮いも、野菜の揚げ物、ひじき、とろろいも……それぞれに薄味ながらもしっかりした味付けの全15品。個室で静かに、一品ずつ目で愉しみ、舌が躍るほどに堪能した。高尾山の山登りもいいが、静かに和の膳を囲むのも趣がある。猛暑の夏の1ページを飾った。

高尾山中の谷間に一燈を照らすレンゲショウマ(野草園で)

薬王院参道の石垣に咲いていたイワタバコ