八王子の市街地の南側を「山田川」という一級河川の川が流れています。
山田町の西方、めじろ台の2つの谷にその源を発し、緑町から万町(よろずちょう)、子安町を経て北野町で浅川に注ぐ長さ6.3kmの川です。昭和の初め頃までは、山田町、北野町の田畑は、その灌漑用水によって耕されていました。
今回は、この山田川の中流から河口までを歩きました。
JR中央線八王子駅南口に出て東方向に野猿(やえん)街道を進みました。
野猿街道は八王子市の横山町を起点とし、同市北野町、下柚木を経て多摩市を通り国立市までの道路です。名前は八王子市下柚木の野猿峠に由来しています。かつて、八王子東部の柚木地区と市街地を結んだ野猿街道は下柚木の野猿峠を越えました。標高160m、猿丸峠とも呼ばれていた峠です。
野猿街道を進み、子安町1丁目で山田川の橋梁「藤井橋」を渡りました。橋の名前・藤井は子安町の旧小字です。ここからは川の左岸を歩き河口へと向かいました。次の橋は「小野路橋」でしたが、その名前は、八王子の子安村から鶴川村(現・町田市小野路)に至る交通路であった古道「小野路街道」の小野路が残っているように思いした。
河川は改修が進み、護岸も整備されていました。遊歩道には、処々にベンチが備えられていて休んでいる人の姿もありました。






「小野路橋」から「西山田川橋」、「山田川橋」、「元子安橋」と進むと、JR横浜線の電車が山田川を渡るのが見えました。




続いて「丸宇之橋」(まるうのはし)という〇の中に宇の字が入った変わった表記の橋を過ぎると、次の「和田橋」の先を京王線が横切っていました。この辺りはかつては大雨の度に水かさが増して京王線が不通になることが多かったそうです。



京王線の踏み切りを渡り北野町に入りました。「中和田橋」、「下和田橋」を過ぎると、今度は中央線の橋梁が見えて来ました。



中央線の大きな橋とガードが続き、その大きさに圧倒されながら歩きました。それでも歩道には樹木が植えられていてサザンカの花の咲く道で電車が通るのを待ちました。橋梁を過ぎてからの河岸にはベンチが置かれた、今までとは違うゆったりとした空間がありました。続く「石田橋」を経て国道16号八王子バイパスの「中田橋」に出ました。バイパスはこの日も多くの車が行き交っていました。







北野地区は土地区画整理事業により田んぼが商工業地や住宅地へと変わり、東京都水道局北野給水所(災害時給水ステーション)、総合卸売センター、魚市場、青果市場等が建ち並んでいました。次の「上河原橋」を過ぎて山田川最後の橋「下中田橋」に着きました。ここ北野町で山田川は浅川と合流しています。浅川の河原に下りて、山田川が浅川に注いでいるのを見てから浅川上流に目をやると新浅川橋が、下流には浅川を渡る中央線が見えました。
和田、石田、中田、上河原といったそれぞれの橋の名前は北野町の旧小字を取って付けられているようですが、〇に宇の字の「丸宇之橋」の名前の由来は気になるところです。







川岸のベンチで一休みして、京王線北野駅に向かいました。北野駅前には昭和56年(1981)に建てられた「完成記念ー北野土地区画整理事業」の田植えをする人の像がありました。


川を渡る3本の鉄道の線路まで見ることができて、楽しい山田川の散策になりました。
参考資料:『八王子 山田町わが街』 清水正之
『八王子 長沼町・北野町わが街』 清水正之
『八王子事典』 八王子事典の会