煉瓦造りの喫茶店

「Coffee Bricks」

JR片倉駅から少し歩いたところ・八王子市片倉町2434にある「Coffee Bricks」煉瓦造りの喫茶店です。

大正7年(1918)に米蔵として建てられたというこの煉瓦の建物は、戦後米店を廃業後は物置として使われていました。取り壊そうと考えたものの、マスターは「建物を守り、将来喫茶店を開いたらどうか」と言っていたお父さんの気持ちに沿いたいと、蔵の改修をし、平成2年(1990)に喫茶店を開きました。

静かに佇む建物の外観を眺めた後、入口に立つと、いかにも重そうな鉄の扉が左右に開いていました。その先にまたドアーがあり、これがなんと自動ドア―で軽く開きました。鉄の扉の重いイメージがあった為か、不思議な気持ちのままお店に入りました。店内は懐かしいストーブの火が燃え、静かな落ち着いた雰囲気に包まれていました。奥の席に座り、先ず気になったのが、窓のように見えるショウケースの中に所狭しと飾られていた何かの部品でした。これはもとエンジニアだったというマスターのお宝のエンジンの模型だと分かりました。そのショウケースの壁も煉瓦が積まれていました。店内の壁は上半分の板壁は昔のままですが、下半分の煉瓦の部分は改修の時に新しく積んだものだそうです。天井も昔のままかと思い、尋ねてみると、奥の方は当時のままで、半分は50年前に修復したということでした。ニ階に上がってみると、天井は低く、米蔵であったことを思わせる太い柱と梁に支えられていましたが、そこに置かれた新しいテーブルと椅子は、その空間に優しく調和していました。

一階に戻り、クリームがたっぷり乗った自家製のシホンケーキを自家焙煎のコーヒーと共に美味しくいただきました。居合わせた喫茶店巡りをしているというご夫婦は、お店が蔵だったと聞いて驚いていました。

コーヒーを入れながらまめにストーブに石炭を足していたマスターは「大変なこともあるけれど、子どもを育てるような気持ちでお店を続けて行きたい。」と話してくれました。関東大震災前に立った米蔵の喫茶店がこの先も守られていきますように。

煉瓦造りの喫茶店ーCoffee Bricksー煉瓦の積み方はイギリス積みで小口積みと長手積みが段違いに積まれています。
お店正面
鉄の扉の奥に自動ドアーがありました。
窓際のエンジン模型のショウケース
蔵を改装した店内の様子
天井ー半分は蔵ができた大正時代のもの
壁に立てかけられたお米を運んだ人力の大八車

八王子煉瓦製造株式会社

「Coffee Bricks」は大正時代に煉瓦の米蔵として建てられましたが、八王子で煉瓦が製造されたのは鉄道の開通によるものでした。

明治29年(1896)八王子から名古屋を結ぶ中央東線(JR中央線)の建設工事が始まりました。この時代の鉄道施設の建設には大量の煉瓦が必要であり、その受注を見込んで、明治30年、煉瓦の原料となる粘土や川砂が豊富に採取できた南多摩郡由井村西長沼(現・八王子市長沼町)に工場をおき、八王子煉瓦製造株式会社が創業しました。明治32年から中央東線の工事用煉瓦の契約を鉄道局と交わし、当初は登り窯を使用していましたが、その後アメリカ式のホフマン窯も使用して大量生産に備えました。しかし機械の不調などもあり、工事に使用する煉瓦の受注には間に合わず、不足分は埼玉県で創業した日本煉瓦株式会社が代納することになりました。その後、営業不振により明治40年、横浜の関東煉瓦株式会社に売却され、明治45年には大阪窯業株式会社に買収され同社の八王子工場として煉瓦製造を再開し、舗道煉瓦ほか様々な種類の煉瓦を製造していましたが、昭和7年(1932)に工場が火災に遭い、2年後の昭和9年に閉鎖することになりました。

37年間に製造された煉瓦は鉄道のほか工場、銀行、蔵、門柱等にも利用されていました。「Coffee Bricks」の煉瓦は大阪窯業時代に製造されたものと思われます。

中央線の下り線に煉瓦が残る橋脚を見ることができます。

中央線アーチ橋(浅川の両界橋から高尾駅への脇道)
浅川橋梁ー中央線下り線(両界橋脇)
両界橋(国道20号)と煉瓦の橋梁が残る中央線
貯水タンク(萩原製糸工場跡(現・日本機械工業(㈱))内)2021年撮影

参考資料:『多摩のあゆみ』 140号、159号  

     『八王子の歴史と文化 第26号』 八王子市郷土資料館