東京都指定天然記念物「佐須の禅寺丸古木」を訪ねる

11月に入ると、私が住んでいる武蔵野市でも赤く色づき、たわわに実った柿の実を民家の庭先で見かけるようになる。たわわに実り、晩秋の陽光を浴びて赤色に輝く柿の実は、ほほ笑ましく、なんとなく和んだ気分にさせてくれる。
今日、多摩・武蔵野地域で私たちが手にする柿の多くは富有柿や次郎柿などで、大粒の柿が主流になっている。しかし、かつてこの地域では、禅寺丸(ぜんじまる)柿と呼ばれる小粒の柿が主流であった、と耳にしたので禅寺丸柿を訪ねてみることにした。

禅寺丸柿は、明治時代から昭和30年(1955)頃まで多摩・武蔵野地域でも盛んに栽培され、農家にとって貴重な現金収入源になっていたという。

禅寺丸柿は、鎌倉時代前期の建保2年(1214)、柿生村(神奈川県川崎市麻生区)の王禅寺地内、星宿山王禅寺の山中で発見され、発見から約150年後の応安3年(1370)、王禅寺再建のため裏山に入った等海上人が熟した甘柿を見つけ、あまりの美味しさに持ち帰り、村人に栽培を勧めることによって広まって行った。
当初、禅寺丸柿は王禅寺丸柿と呼ばれていたが、元禄時代頃に王が取れて禅寺丸柿と呼ばれるようになったという。

禅寺丸柿の実は、丸型で直径が4~5cmと小さく、実が数個付いた小枝ごと切り取り出荷していた。出荷先は江戸の町へ、明治以降は都外へも出荷されるようになった。しかし昭和40年(1965)年代に入ると、大粒の柿が主流となり、都市化も進んで禅寺丸柿は切られるか、放置されて収穫されないまま大木へと姿を変えて行った。

調布市佐須(さず)町1丁目に「佐須の禅寺丸古木」と呼ばれ、東京都の天然記念物に指定(昭和39年4月指定)されている柿の大木があるとの情報を得て、出かけてみた。
「佐須の禅寺丸古木」は民家の庭先で見上げるような高さで聳え立っていた。高さ15m、根元直上の幹回りが2.3mに及ぶということで、幹から張り出した小枝には数多くの赤く色づいた実が連なっていた。樹齢は約380年に及ぶとか。

佐須の禅寺丸古木
佐須の禅寺丸古木の実

禅寺丸古木の説明板 (画像をクリックすると拡大)


調布市には、「佐須の禅寺丸古木」のほかに、深大寺北町の個人宅に「山野の禅寺丸古木」と呼ばれ、調布市の指定天然記念物に登録されている大木もあるという。

かつて、小粒ながら多摩・武蔵野地域の柿の主流となり、農家の貴重な主要産物になっていた禅寺丸柿、是非、その味も味わってみたいと思いながら佐須の柿の古木を後にした。

参考資料
  ・江戸・東京農業名所めぐり JA東京中央会
  ・禅寺丸柿 川崎市教育委員会