古代・中世・近世・近代・現代とは
みなさんは、中世は武士の時代が始まりが「いい国つくる鎌倉幕府」から「いい箱つくる鎌倉幕府」に変わったのをご存じでしょうか。これと同じような論争が江戸時代を示す近世にも起きていた模様です。
均一的・一体的な近代(明治時代以降)へとつながる近世としてはじまりがいつか、というお話しです。
一般的な近世
一般的には武士に時代を中世、その次の江戸時代を近世、明治維新からを近代と呼ぶのが一般的だと思います。とても分かりやすい区分ですよね。
享保の改革に注目
ところがこれに異を唱え方がいます。東京学芸大学名誉教授でNHKの歴史ドラマの時代考証で有名な時代考証学会会長でもある大石学さんです。彼は江戸時代の中でも家康の時代はまだ中世的であり、第8代将軍徳川吉宗によって主導された幕政改革である享保の改革からが近世であると唱えだしました。
大石は明治以降の近代につながる大きな社会変革が享保時代に起きていたと述べます。
享保の改革
「財政改革」と「幕府運営」の改革を目的として、八代将軍の吉宗が、新田開発、目安箱、五公五民、公事方御定書、倹約令、江戸町奉行、定免法、上米の制などをおこなったのが享保の改革です。その享保の改革の中のひとつに鷹場制度の復活があります。
家康の後、もう武力の時代ではないと鷹狩は禁止されていました。その鷹狩制度を復活させたのです。
大石は警察権力の拡大に注目
家康以来の江戸城付近・多摩地区は大名領・天領・旗本領・寺社領といくつかの支配者よって分かれていました。罪を犯した盗人を町奉行が追いかけても大名領に逃げ込まれたら捕まえることや追いかけることも出来ません。大名屋敷に逃げ込んだ盗人が「やーい、やーい、ここはxx様のお屋敷だぞ。町奉行もここには入れまい。ざまーみろ」という場面を歴史ドラマで見たことがあると思います。これは治安問題として大きなものでした。
鷹狩場で問題解決へ(地域編成論)
吉宗はこの治安問題を鷹場を用いての一体的な支配を目指しました。天領はそれまで代官により管理されていましたが、新たに鷹場役人も置いて2重に支配を行い、大名領・天領・旗本領・寺社領すべての地域を江戸城城付地として一体化を目指そうとしたのです。
これは近代における首都圏形成の重要な前提となりました。これが近世の始まりが享保期だとする根拠とのことです。
鷹狩も復活
家康が大好きだった軍事訓練としての鷹狩も「もう武力はいらない」とその後は禁止されていました。その鷹狩を復活させました。
地域編成論への反論
それでは幕府による地域編成は成功してのでしょうか。研究者の間でも大石さんの地域編成論への反論が出てきました。大石さんの先輩でもある伊藤好一さんらによるものです。
本当に鷹場は地域を均一化・一体化させるものだったのか? 江戸周辺地域は多元的支配が行われており、鷹場による一元化は難しかったのが事実ではないか。
「領一触次(触元)」体制のもと、江戸周辺地域は鷹場関係夫役や江戸城上納役、あるいは兵糧方関係夫役などの役負担を担う「江戸城城付地」として一体化し、近代における首都圏形成の重要な前提となった。
世田谷領では鷹場は決して均一化させるものでは無く鷹場組合村としていくつもの「地域」に分裂しており、むしろ一元化ではなく多元化・多極化の様相もみえる
今後の鷹場研究
大石さんの近代への地域編成論も斬新ですが、多元的・多極的な江戸時代をどうとらえるか。多元的な世界を保ちつつ幕府もそれ以上の均一化を望まなかったのではないか。
「ゆるやかな一元化」を許容する政治・社会。そこに現代のわたしたちが学べることは多いのではないでしょうか。