八王子市片倉つどいの森公園に於いて4年振りに行われた「八王子流鏑馬(やぶさめ)」を観に行きました。
「流鏑馬」は疾走する馬の馬上から弓を引き「鏑矢」(かぶらや)という矢で三つの的を射る日本の武家社会で行われた古式弓馬術です。
公園に着くと、長さ200メートルに設定された馬場の周りは大勢の人で賑わっていました。始まりを今か今かと待っていると、八幡神社の宮司さんによる安全祈願の後、いよいよ「流鏑馬」が始まりました。馬場には二カ所に的が立てられていて、狩装束を纏った12人の射手が2組に分かれ、6人の射手が次々と馬だしをスタートして、壱の的、弐の的と続けて馬上から矢を放ちます。矢が見事に的を射ると、その度に大歓声が沸き起こりました。失敗したときには「アー」という溜息も大きくなり観客は一つになって一喜一憂していました。的奉行といわれる人がいて矢が的に当たったか否かを判定していましたが、2回の疾走が終わると、判定の結果で的に当たった矢の本数が多かった5人の射手による「流鏑馬」の競技が行われました。最後には勝ち進んだ2人の決戦があり優勝者が決まりましたが、勝敗に関係なく全力疾走した2人の射手に大きな拍手がおくられ、会場は大いに盛り上がっていました。
「流鏑馬」の歴史
「流鏑馬」の起源は古く、6世紀中頃欽明天皇が、国の内外の戦乱を治めるため「天下平定、五穀豊穣」を祈願して行なった神事が始まりとされ、平安時代には、宮廷行事の一環として行われていました。鎌倉時代になると武士の嗜みとして行われた一方、神事としても鶴岡八幡宮の祭礼に奉納されることが多く盛んになっていました。それ以降は兵法の変化もあり衰退しましたが、江戸時代になると徳川吉宗の命により、古い記録を元に新たな「流鏑馬」が制定され武士の武芸として再興し、神事としての「流鏑馬」も行われるようになりました。明治以降も継承され続けて、現在はイベントや神事として行われる他「スポーツ流鏑馬」として競技性を持たせたものが親しまれているようです。
「流鏑馬」の思い出ー「馬とばかし」
もう何十年前のことになるでしょうか、故郷の隣町で毎年秋になると、「うまっとばかし」といって街の中の馬場を馬が疾走する祭りを楽しみに親戚の家に行きました。「馬場の家(ばばのうち)」と呼んでいたその家は丁度、馬が飛んで来る正面にあって、こちらに向かって馬が飛んで来るのを怖さがありながらもワクワクしながら観ていたことを覚えています。 「うまっとばかし」とは「流鏑馬」のことで、走ることを飛ぶというこの地域では馬が疾走する様子をこう表現したと思います。故郷の山梨では今もその祭りが行われているようです。
参考資料:ウィキペディア