前々回のブログで紹介しましたが、川口川の橋めぐりをさらに上流に向かって続けたいと思い出かけました。
八王子駅北口から川口小学校行のバスに乗り途中楢原町停留所で下車しました。秋川街道から高尾街道に出て川口川に向かい前回の最終地点・明治橋に出ました。川口小学校行ではなく犬目町行のバスを利用すると明治橋近くの犬目のバス停に出られたことを後で知りました。
明治橋の次の橋は大正橋で、ここから今回の橋めぐりがスタートしました。
グーグルマップで橋を確認して下さい。
大正橋からスタートし今回めぐった17本の橋は次の通りです。
大正橋~駒形橋
① 大正橋:右岸の唐松町の唐松は楢原町の旧小字。右岸には整備された遊歩道が続いていました。
② 高尾橋:左岸犬目町、右岸川口町。護岸工事が行われ石積の堤になっていました。両岸に新しい家が立ち並び、柿が実り、芙蓉、紫式部の花が咲く歩道では土曜日の昼過ぎ、家路に就く小学生に出会いました。
③ 唐犬(とうけん)橋:左岸は護岸工事中でしたが、10年続いている工事でここが最終地点ということでした。橋の上から工事中の堤を眺めていると散歩中の方が「今は工事で鮎どころかザリガニもいなくなったね」と嘆きながら、自然の中で遊んだ頃のことを懐かしそうに話していました。コスモスが咲き竹林が続く右岸の遊歩道にベンチがあったので一休みしてお昼にしました。気持ちの良い季節になり、土曜日ということもあってか散歩する人が、一人二人と目の前を通り過ぎて行きました。
④ 駒形(こまがた)橋:この辺りは右岸は狭く草に覆われ、川の流れは緩やかなところでした。
堀口橋~宮田橋
➄ 堀口橋:この橋から次の橋へ行く道端に「偉農河合宗兵衛公徳碑」という碑が建っていました。河合宗兵衛(嘉永5年~明治43年)(1852~1910)はこの地に生まれ、『宗兵衛はたか』(麦新種)、『宗兵衛つくり』(新耕作法)、『宗兵衛様(さん)入り』(技術伝習)等を成したと説明がありました。
⑥ 山王橋:川口川水道管が並んで架かっていて、橋を渡る道の右岸近くに東京都水道局川口ポンプ所がありました。ポンプ所の近くに、88歳になるという元気な奥さんのお店があり、買い物に行けないお年寄りの為に北野、昭島の方まで毎日仕入に行きお店を開いているそうで、果物、野菜の他日用品も並んでいました。
⑦ 宮田橋:この辺りから少しずつ勾配が急になってきました。
川中新橋~滝の沢橋
➇ 川中(かわちゅう)新橋:苔むした橋ですが、欄干の支柱だけ白く衣替えした様子でした。橋を渡る道を左岸から進むと川口中学校があります。この辺は歩道らしきところが無いので右岸から秋川街道に出ました。道路の反対側に開校150年という川口小学校がありました。明治6年(1873)に前身の川口学舎が、近くに建つ萩寺とも呼ばれる鳥栖山観音院長福寺を仮校舎として開校した小学校です。
⑨ 観音橋:人専用の橋で、道から高く盛土して架けてありました。少し前までは丸太橋だったそうです。
⑩ 片井戸新橋:秋川街道からこの橋を渡りまた遊歩道に出ることができました。昭和47年(1972)の宅地造成の時に出来たというこの橋は、欄干の柱の名前は読み取れない状態で、近くの方に教えてもらいました。この辺は川から橋桁迄が浅く大雨の時には怖いのではと聞いてみると、令和元年(2019)の台風19号の際には川口小学校に避難したそうです。⑨の観音橋へはここから戻りました。
⑪ 川口橋:秋川街道が川口川を渡る橋。ここから川が街道の左側を流れるようになりました。
⑫ 西田橋:欄干の柱は旧仮名で名前が刻まれていて古く味わい深いものでしたが、手摺は新しく架け替えられていました。
滝の沢橋~今回最後の橋
⑬ 滝の沢橋:川は小川のように流れは細くなっていました。この辺は歩道が有ったり無かったりで右岸、左岸と交互に歩いたり、秋川街道に出たりと時々川から離れて歩くことになりました。
⑭ 川口川道路橋:圏央道が川を渡っています。
⑮ 十内入(とないり)橋:十内入は川口町の小名。水道管が並んで架かっていました。田んぼと畑が広がり稲刈りをしているのが見えました。道が無く畦道を通りなんとか往来に出ることが出来ました。
⑯ 東釜の沢橋:木造の風情がある橋でした。ここからまた秋川街道に出ました。川幅が広がり流れは澄ワサビでもできそうな感じでした。
⑰ 名前不明の橋:今回の橋めぐりはここで終わります。最後の橋でしたが残念ながら名前が確認できませんでした。調べてみると東釜の沢橋の次は釜の沢橋となっていますので次の機会に確認したいと思います。
下流の方は石積の護岸が続き、遊歩道も整備されていました。八王子市都市計画河川事業に基づき、防災の為河川の改修が行われてきたようですが、上流に進むとまだ自然がそのまま残っていました。どんな景色が見えるのか、この先の橋をまた巡ってみたいと思います。