11歳で新選組に入隊~井上泰助

井上泰助(いのうえ・たいすけ)(安政4年(1858)~昭和2年(1927))は、日野の出身で、井上源三郎の兄で千人同心である井上松五郎の次男として生まれました。

慶応3年(1867)10月の土方歳三による江戸での隊士募集の際に入隊しました。その際には、叔父の源三郎も同行していました。年齢からして父の松五郎が、次男である泰助の将来を考えての入隊でしょう。もちろん日野宿の少年にとって、武士として京で活躍する彼らは、身近なあこがれの対象であったことでしょう。入隊後は、両長召抱人という記録から、局長や副長の小姓のような任務についていたようです。

井上泰助肖像(新選組写真集より)

ところが、入隊からまもない慶応4年(1868)の1月に鳥羽・伏見の戦いが勃発します。その戦いにおいて、淀千本松で叔父である井上源三郎は、銃弾にあたり討死にしてしまいます。泰助は、健気にも源三郎の首と刀を持って大坂に引き揚げるために歩き出しました。しかし、首と刀はなんとしても重く、同行の隊士からの注意もあって、途中のお寺の門前に首と刀を埋めて引き揚げたということです。

江戸に戻り甲陽鎮撫隊出陣に同行し、日野に来た際に離隊したようです。

次男でしたが、父の松五郎と長男の定次郎が明治4年(1871)に続いて死去したため家を継ぎました。
墓は、井上源三郎と同じく日野市の宝泉寺にあります。

<<参考>>

  • 新選組大人名事典 新人物往来社編 新人物往来社, 2001年
  • 新選組写真集 新人物往来社編 新人物往来社 1974年