バクに似た流域で親しまれる鶴見川を歩く

「五月雨をあつめて早し・・」となる前に、晴れた一日ブログ4本目の川を歩く。小山田緑地を南に抜けると鶴見川の最上流部にたどり着く。まずは、町田市立「小山田小学校」附近の一級河川鶴見川の上流端に進む。

一級河川上流端 橋は昭和9年架設の「新橋」

上流端から源流の泉の間

源流の泉

東京の一級河川4水系の一つ鶴見川水系は、上小山田町の田中谷戸を源とし、上流端から43㎞を流れ下り京浜工業地帯から東京湾に注いでいる。都内を流れるのは約12.8㎞だが、上流部のため自然環境がほど良く保存されて水に親しめる河川として憩いを与えてくれる。

鶴見川(青線)地図 赤い線は都県境  国土地理院地図使用

最上流部から流れは南に向かい、東西方向の芝溝街道を横断する地点が図師の交差点になる。架かる橋は図師大橋、この付近までは大きな河川改修はされていない。

河川標識

ここから流れが街道に沿って東に進む、約3㎞先の鎌倉街道あたりまでは旧河川を活かした景観や、緩やかな堤防、淵や瀬、樹木を残し自然に配慮した整備がなされている。釣りを楽しむ姿に故郷での昔の自分が重なる。

写真は上流から順に、都営山崎町アパート近くの鎧橋付近、丸山橋付近、参道橋付近を撮った。

鎧橋付近

丸山橋付近

参道橋付近

鎌倉街道から小田急鶴川駅付近までの約3㎞の鶴見川は、すでに整備されてところどころ緩やかな堤防から川の近くまでおりることが出来る。鶴川駅までもう少しのところに「金井の獅子舞雨乞いの地」の碑が立っている鶴見川と金井川との合流点で舞ったらしい。

鶴川駅付近は川が東京都と神奈川県との境界となっていて、川の管理者は駅付近が神奈川県、前後を東京都が管理している。写真は真光寺川との合流地点でここから下流が東京都になる。

真光寺川合流部 開戸親水公園

全体の地図をご覧のとおり、町田市が両脇を川崎市麻生区に挟まれて苺の形でポツンと張り出している。ここ町田市三輪町地域は丘陵地になっていて崖が川近くまで迫っている。町田市に入って最初の橋「精進場橋」から右岸側の坂道を5,6分登ると、左手に康安2年(1362)開山と言われる「高蔵寺」が見えてくる。

高蔵寺

花木が多くとても趣のある寺で四季折々に訪ねてみたくなった。関東一都六県花の寺巡り「東国の花の寺百ヶ寺」と名付けて東京都12ヶ寺のひとつになっている。シャクナゲが有名で3月下旬から5月上旬が見ごろ。花が見られなくて残念だった。

シャクナゲの回廊

昭和10年秋、北原白秋夫妻がこの寺を訪れて歌7首詠んでいる。「高蔵寺しづかやと散葉眺めゐて梢の柿のつやつやしいろ」。碑にはこう書かれている。

歌人、北原白秋は昭和十年十月の秋、高蔵寺を訪れて柿の美しさを探勝し、七首詠んだ晩年の歌です。この歌には、静寂な秋の風景と、境内の穏やかな風情を感じとることが出来ます。この時代は、本堂と庫裏が萱葺で、山内には柿の木が数十本古木の大木で生茂り、周辺の住民とが一つになって息づいていた頃の時代です。白秋はその後、視力を失い昭和十七年十一月二日永眠されました。享年五十七歳で永眠

この辺りには、沢山城跡(農地や山林で私有地、縄張り図以外は実測調査はほとんど行われていない。)や地域の鎮守である熊野神社(曲輪跡)、白坂横穴墓群(7世紀に造られた、他にも2つの墓群があり横穴の集中する地域となっている。)など遺跡が多い。

沢山城跡縄張り図

横穴墓群を東に進み、三輪小学校脇に日本武尊ほか2柱を祀る椙山(すぎやま)神社がある。由緒記によれば「武相地区に72の杉山神社があるが椙の字は唯一のものである」と書かれている。

川に戻ろう、椙山神社の坂を下り柿生駅に向かうに道路に出る角にちょっと気になる店があった。「シュルツカフェ」自然食とケーキらしい、コロナ禍で営業日がいつもと違うので確認が必要、当日は休業だった。鶴見川に架かる四ツ木橋を渡り北へ向かえば20分ほどで柿生駅に着く。

シュルツカフェ