桜から若葉へと季節が移る頃、浅川の鶴巻橋の近くにある「東京都水道局元本郷浄水所」を訪ねました。
そこは八王子市最初の浄水場「元本郷町浄水場」が建設された場所で、当時の「ポンプ棟」が立っているというので気になっていました。
平成2年(1990)に「元本郷町浄水場」は現在名「元本郷浄水所」に改称しました。
鶴巻橋
鶴巻橋は前回のブログでお話しした萩原橋から浅川の上流に向かって次の橋です。
この橋の南側に立つ八王子市役所新庁舎の建設に伴い 昭和61年(1986)に架けられた橋であり、彫刻家橋本次郎氏(1919〜1997) 作の八王子市の歴史に因んだ8体のブロンズ像が設置されています。その中に武田家滅亡により甲斐の国を追われ八王子へ逃れた松姫様の像もあります。その姿に多摩めぐりで訪ねた恩方に思いを馳せました。
南北浅川の合流点
川に沿った遊歩道を上流へ少し歩くと南浅川と北浅川の合流点になります。北の方に目をやると、北浅川を渡る中央道が見えました。川原に降りて水に触れてみると、もう冷たさもなく水面の輝きに春を感じました。川沿いのベンチではお弁当を食べる人の姿もありました。
川沿いの柵越しに古い建物が見え、傍には「元本郷三号水源」と書かれたポンプが設置されていました。この建物が「ポンプ棟」かもしれないと思い、入口を探すため川沿いから表通りに出ました。
「東京都水道局元本郷浄水所」へ
表に出ると、そこは「東京都水道局・八王子サービスステーション 八王子給水事務所」でした。
敷地内に入ると、正面の扉に「元本郷浄水所」の看板が掛かっており、その奥に「ポンプ棟」が、そして右手には支柱に「八王子水道浄水場」と書かれた「正門」が建っていました。入口にあった「元本郷町浄水場」ー八王子市近代水道発祥の地ー」の看板により、共に昭和3年(1928)に市内最初の浄水施設として建設されたものであることが分かりました。
鉄筋コンクリート造りの「ポンプ棟」も鉄製のゲートの「正門」も一部改修されているものの当時の姿を遺しているということです。
白い洋風の堂々と立つ「ポンプ棟」をワクワクした気持ちで見ながら、歴史を知ることのできる建物が永く遺って欲しいと思いました。
「正門」を入ると右手には、やはり浄水場建設当時に創建されたという浄水の守護神・「水神祠」が祀られていました。
「元本郷町浄水場」建設と八王子市の水道事業
八王子市は明治末期から水道建設が計画されてきました。当時は井戸水で飲料水が確保出来たこと、水道施設には膨大な費用がかかる等の理由から実現は難しいものでした。その後大正6年(1917)の市制施行後人口も増加しその必要性が高まると、大正14年南北浅川の合流地点の伏流水を水源とした浄水場の建設が決定し、昭和4年(1929)に、元本郷町4丁目に6万人を対象とした八王子市最初の浄水場・「元本郷町浄水場」が竣工しました。総工事費は当時の金額で963,281円でした。
給水は前年に開始され、ここで浄水した水は同時に建設された横山村散田(現・散田町2丁目)配水池まで送水し、そこから自然流下で配水するというものでした。
戦後、水道の需要が伸び、近隣町村との合併もあり、浄水場を新設し、昭和34年には元本郷町浄水場内には深井戸を増設する等給水区域を拡張しましたが、給水計画人口34万人となる昭和50年には地元の水だけでは賄えなくなり昭和46年(1971)東京都からの分水が開始されました。
多摩地域は急激な人口流入による水不足から水源を東京都から確保することになり、八王子市の水道事業も昭和51年から東京都水道局の受託事業に変わり、平成24年には完全に都に移行しました。
浄水場を訪ねて
毎日水道から出る水を当たり前のように飲み、ライフラインの一つとして使っていましたが「どこからどのようにして届くのかしら?」と改めて考え、給水所、浄水場、貯水池、水源地さらには水道水源林へと関心が深まりました。
山や川といった自然と多くの施設、それを管理する方々に支えられていることに感謝すると共に「水源地ふれあいの道」を歩く水源林ツアーにも参加してみたいと思いました。
八王子の水道水はどこから届くのでしょう。
八王子市内の水道水は、主に東村山浄水場と小作浄水場から供給されています。
このほか、荒川系浄水場(朝霞・三園)及び江戸川系浄水場(三郷・金町)と、市内3ヶ所(高月・元本郷・暁町)の浄水所からも供給されています。なお、配水区域や供給量は、各河川上流のダム貯水量や供給需要に合わせ、東京都水道局が配水調整を行っており、変更されることがあります。(八王子市ホームページより)
ちなみに、我が家の水は秋川の伏流水を水源とする高月浄水所から届いていることが分かりました。(東京都水道局HP:水源ー配水系統から検索)
参考:東京都水道局HP
八王子市HP
『八王子事典』