弁財天・弁才天・弁天様 ?

 そろそろ年賀状の準備を始めなくてはいけない。年賀状と言えば、年の干支(来年は丑)と七福神が登場するのが恒例である。七福神それぞれの高齢な、太目な、豪傑風な諸神のなかにあって、目立って気を吐いているのが女人の弁天様である。地域を巡り、神社仏閣を訪ねれば、しばしば登場する神像・仏像に対し、由来も意味もさほど知ることなく手を合わせ参拝しているが、そもそもどんなご利益がこれまで願い求められてきたのか改めて知りたいと思い、身近な仏神像のこのシリーズを続けてきた。そこで、今回は、弁天様・弁才天・弁財天である。

 

 サラスヴァティ(Wikipediaより)

   弁才天(べんざいてん、梵語でSarasvati)は、前回の四天王同様に仏教の守護神である天部の一つで、ヒンドゥーの女神であるサラスヴァティが仏教に取り込まれた呼び名である。原語のサラスヴァテイはインドの古聖典『リグ・ヴェーダ』に現れる聖なる河とその化身の名であり、ヒンドゥー教の創造の神ブラフマーの妻で、水の女神である。次第に芸術・学問などの知を司る女神と見做され、他方で音楽神、福徳神、学芸神の性格に加え、戦勝神の性格も持つようにもなり、像容は、二臂 (腕二本) 像と八臂(腕八本)像の2つに大別される。

二臂(腕二本)像 …… 琵琶を抱え、バチを持って奏する音楽神の形

八臂(腕八本)像 …… 弓、矢、刀、矛、斧、長杵、鉄輪、羂索(投げ縄)を

持つ鎮護国家の戦神としての姿

(中国への仏典「金光明最勝王経」漢訳時の所説によるもの)

 

この日本では、八本腕の戦闘神的な弁才天と、二本腕の琵琶を持つ弁才天とが、互いに影響関係を持ちながら変容した。インドや中国で伝えられるものとは微妙に異なり、記紀においてアマテラスとスサノオの誓約で生まれた海上神の「宗像(むなかた)大社の三女神」(沖津宮の「田心姫神(タゴリヒメ)」・中津宮の「湍津姫神(タギツヒメ)」・辺津宮の「市杵嶋姫神(イチキシマヒメ)」)のうちの市杵嶋姫神と同一視されることが多く、また「七福神」の一員として宝船に乗り、縁起物にもなっている。中世以降、弁才天は、出自不明の蛇神の宇賀神と習合して、頭上に翁面蛇体の宇賀神を載せた姿の宇賀弁才天が広く信仰されるようになる。さらに、神仏習合によって神道にも取り込まれ、古くから弁才天を祭っていた社では明治期の神仏分離により、宗像三女神または市杵嶋姫命に代えて祭っているところが多い。弁才天の化身は蛇や龍とされるが、その所説はインド・中国の経典には見られない。弁才天は財宝神としての性格が強調されるようになると、「才」の音が「財」に通じることから「弁財天」と書かれることも多くなった。

 

わが国では、下記が三大弁天と言われる。

1. 滋賀県の宝厳寺・竹生島神社(琵琶湖内竹生島在) …八臂の宇賀神弁才天

2. 広島県の大願寺(宮島在)      …厳島神社から遷された八臂弁才天像

3. 神奈川県の江の島神社(下の写真) …主祭神は宗像三女神、弁才天は摂社に

他に、奈良県天川村の天河大弁財天社、宮城県金華山の黄金山神社を挙げることもある。

 

 

 

 

 

 

 

 

江の島神社の摂社辺津宮に祀られる八臂弁財天 (左)と妙音弁財天(右)

 以上のように、近世以降の弁才天信仰は、仏教、神道、民間信仰が混交して、複雑な様相を示している。 弁才天の縁日は干支で「巳」の日。

 

ここ多摩地区では、武蔵野三大湧水と呼ばれる、石神井川水源の三宝寺池の厳島神社弁天社、善福寺川水源の善福寺池の善福寺弁財天、神田川水源の井の頭池の井の頭弁財天(本坊は天台宗大盛寺)がある。紅葉もそろそろエンドだが、武蔵野市と三鷹市の井の頭公園を訪ねるのもいい散策になろう。井の頭弁財天堂は、平安時代の創建と言われるが、その後の再建・消失を経て、江戸時代に三代将軍徳川家光により再建されたという。現在の堂舎は昭和初期に再建のもの。縁起によると、本尊の弁財天像は平安期の最澄作と伝えられる。八本の腕を持ち頭上に宇賀神を持ち鳥居を冠した八臂弁財天は、12年に一度開帳される秘仏である。周囲には、銭洗い弁財天石像とともに、怪しく妖しい宇賀神像が設置されている。

井の頭弁財天本堂

宇賀神像