多摩地域で一番高い山が雲取山であれば(⇒多摩で最高の場所「雲取山」2020.3.9)、「一番低い山はどこだろうか?」と気になるのは普通のことかもしれないのですが、このことを書いたものはあまり見かけません。
「最高」に比べ「最低」というのは魅力に欠けますし、さらに現実的な問題として、「山」をどのように捉えるか、というそもそもの問題に突き当たってしまい途方に暮れる、というのが普通のなりゆきなのでしょう。
清瀬市にある江戸時代に造った「中里富士山」と呼ばれる富士塚(東京都の有形民俗文化財に指定されている)を「山」とみるか?とか、武蔵野市にある江戸時代には「御殿山」と呼ばれていた場所は「山」であるか?とか、地面の盛り上がりや樹木の多い場所であるために「山」と称しているものを対象にしてしまうと、収拾がつかなくなるのは目に見えています。
そこで、ここでは、日本国土の基本図である国土地理院の2.5万分の1の地形図上で、自然地形の「山」としてその名前と標高が表示されているものを対象にすることとします。(一般的にもこの基準を使うことが多いようです。)
多摩地域は20枚の2.5万分の1地形図で覆われていますので、20枚全てを隅から隅まで眺めていけば答えは出ます。(根気のいる作業ではあります。)
その作業の結果は、多摩地域で一番低い山は、府中市の「浅間山(せんげんやま)79.8m)」でした。
地図で分かるように、この山頂には三角点があります。
さて、多摩で一番低い山が浅間山であることが判って、話はこれで終わり、とはなりません。
この浅間山がとても不思議な山なのでそのことを見ていきます。
国土地理院の地理院地図で「3D」画像を作って浅間山を俯瞰してみます。
北多摩地域の特徴的な地形である台地面と崖線がみごとに示された画像になっていますが、浅間山は立川面上にポッコリ盛り上がった特異な形状をしているのがわかります。
面白いです、不思議ですね。
このように盛り上がった地形の形成過程を考えると、通常は二通りしか考えられません。
そこだけググっと盛り上がったか、周辺部分が削られたか、このどちらかです。
実は浅間山の地質を調べると、その周辺の地質とは違っているのです。それがなんと、北方の狭山丘陵や多摩川の南側の多摩丘陵の地質と一致していることが判っています。
すると考えられることは、台地が削り取られた後に残ったものが狭山丘陵、多摩丘陵、浅間山で、削られて平になったところが武蔵野面や立川面とみるのが自然です。そして削ったのが「誰か」といえば、今は多摩丘陵の北側を流れている多摩川なのです。多摩川は、太古の時代からその流路を変えながら、武蔵野の扇状地を削り取り続け、何かの加減で削り残しができてしまった、それが浅間山です。
削り残されたもう一つの証拠として、ムサシノキスゲという植物があります。この植物は日本では浅間山にしか自生していない貴重種です。太古には武蔵野一帯に生育していたと思われるムサシノキスゲですが、浅間山以外のムサシノキスゲは古多摩川によって流されてしまったのでしょう。
毎年5月にはムサシノキスゲが新緑の中にひときわ鮮やかな黄色の花を咲かせます。
現地へ出かけ、花を愛でるとともに、台地の変貌してきた姿を想像するのも楽しい事ではないかと思います。
それと、そこが「多摩で一番低い山」であることも思い出してください。