私を弟のように振舞わせてくれた写真家の青野恭典さんが平成2年(1990)夏に出版した「山野草の花に魅せられて」(研光新社刊)の表紙を飾った写真はカタクリだった。国内をはじめ、各国の山岳や海岸の風景など自然写真を撮り続けた青野さんのこの一冊は山野草を撮影する目的と、より美しく見せる方法を解いたものだ。カラーの口絵には出芽から開花までを写し込んだものと、「カタクリの貌(かお)」とタイトルを付けて色違いの花とその斑紋を強調した写真を収載している。どれも花のはかなさ、健気さ、それでいて妖艶な色合いを鮮やかに記録した。これらは青梅・御岳、八王子・高尾、あきる野、神奈川・城山といった比較的身近な場所で撮ったものだけに親近感が増した。同時にカタクリの存在を見つめ直したものだった。この本は、私の書棚に長くいる。
私がカタクリの花を初めて見たのは、青野さんが同著を出版する10年以上も前だった。風もなく穏やかな春の陽光が八王子市南浅川町の民家の庭でまどろんでいた。花のおしゃれさに見惚れ、大人っぽい艶やかな花からしばらく目が離せなかった。
カタクリの花が俯き加減に咲くことを表したものか、かたむいた籠が転じて「堅香子(かたかご)」とも、一方では寒い冬を越して堅いつぼみを膨らませたように咲くことから「堅香子」という古語の名も持っている。
何よりも『こいつ、やるな』と思わせたのは花弁の基部につけたW字型の斑紋だ。昆虫を誘い込むマークらしい。そのために花弁の基部付近には蜜腺がある。蜜に誘われた昆虫は、花弁の中に一度、入ろうものなら全身に花粉が付き、カタクリの拡散のお役に立てられてしまう。カタクリも知恵者だ。
カタクリといえば、片栗粉を連想する。いま市販の片栗粉は、ジャガイモやトウモロコシのデンプンを精製したもので、私が子供のころに随分いただいた。発熱した時など葛粉の代用として葛湯にして体を温めるよう母に勧められたものだ。無味無臭の白い粉末は湯で練ると無色になり、風味がある。いまも和菓子やあんかけ、揚げ物など料理に欠かせない。
カタクリの鱗茎を3月から5月ごろに採って砕いて、布袋に入れて水中で揉み、デンプンを洗い出した後、精製・乾燥させて利用したのは江戸時代の話だという。製品になるのは収穫量の2割と少なかったらしい。歩留まりを上げるためにジャガイモなどを使い、大量生産にこぎつけたものとか。
わが郷里越中国(富山県)に赴任した大伴家持がカタクリの花を見て、こう詠んだ。「もののふの 八十娘子(やそをとめ)らが 汲みまがふ 寺井(てらゐ)の上の 堅香子の花」と。カタクリの花の形状や色合いを他所に友との語らいを楽しむ娘たちの光景が浮かんで微笑ましい。いま、戦禍に涙を流し、震災に心を塞ぐしかない人々の多いことよ。がれきに埋まり、色合いのない現地に紅紫色のふっくらした花を届けたい思いに駆られる。
中学校卒業50年の同窓会を開く案内を受けた先年、近所だった友とやり取りするうちにカタクリの話題になった。近場の同級生数人とカタクリを見に行ってきたという。その地は、実家から200mほどと聞いて耳を疑った。「みんなでよく遊んでいたところよ」と言われて二度ビックリ。灯台下暗しもさることながら、幼少期にカタクリの花を見ていれば、わが人生、いまと変わっていたかも知れない。