梅と競って開花し始めるタンポポ。桜が満開になり、ウグイスが本調子で鳴くころ、タンポポは、はびこるほどに辺りを黄色に染める。春本番の光景だ。
同時に幼いころの苦い思い出が沸き上がる。小学高学年のあるとき、庭にスケッチブックを持ち出してタンポポを描いた。その出来栄えによって、その後も庭に生えていたレンゲソウやシロツメクサ、ヒマワリ、カンナなどに夢中になった。
だが、例えばタンポポ。当時、カントウタンポポ、カンサイタンポポなんて聞いたことがなかった。在来種が10種類ほど、世界には約400種もあるなんて知る由もなかった。セイヨウタンポポという名前すら。まして花は3日ほど連続で開閉を繰り返して花が枯れるとか、いったん倒れた花茎は数日後、立ち上がって先端に綿毛をつけることに何の関心もなかった。種は着地点で発芽して3ヶ月後に花が咲くという繰り返しも想像しなかった。
カントウタンポポの存在を知ったのは、それから10年以上も後だ。多摩の植物研究家を取材したときだった。子供のころ、野草に向き合ったのに生態や環境などに疑問を抱かなかったことに歯ぎしりした。植物研究家の言葉がよみがえる。「大地はミュージアム。花のきれいさを楽しまないと先へ進まないよ」
いま、カントウタンポポを見るのは難しいといわれる。セイヨウタンポポに圧されたり、セイヨウタンポポとの交雑種が蔓延したりしているからだ。
セイヨウタンポポが進出した大きな要因は、カントウタンポポと受粉の違いがあるにせよ、それまで生育していた環境が人の手によって変えられたからだという。知らず知らずのうちに加担しているわが身をどこに置けばいいのだろう。