多摩の北東の端、一番新しい市と言えば「西東京市」(平成13年(2001)1月田無市と保谷市が合併)。今回は、JRの駅からの停車場線が続いたので、私鉄の駅前からを選んでみた。都道112号線「ひばりヶ丘停車場線」をご紹介。延長3,112m、ひばりヶ丘駅からほぼ真っすぐ南へ田無駅に向かう道路で、谷戸新道とも呼ばれている。旧道はこの東側にあって谷戸街道といい、戦前まではもっとも利用された道路だった。
この道路の中ほど谷戸地域は、昔から湧水があり古くから人が住み着き、田無発祥の地と言われている。府中や鎌倉に向かう街道の宿場町としてにぎわっていた。江戸時代に入り青梅街道の宿場、田無宿が発展するにつれ谷戸地区は寂れていくことになった。
都道になったのは、昭和18年(1943)6月で当時の路線名は「田無町停車場田無線」といった。現在の路線名になったのは昭和57年(1982)1月のことだ。
この道路の起点である「ひばりヶ丘駅」は、大正13年(1924)6月に武蔵野鉄道(池袋~飯能)の「田無町駅」として開業した。所在地が保谷だったが、田無駅の開業がおくれて昭和2年(1927)4月のため、田無への入り口はこの駅しかなくこの意味で駅名となったという。ひばりヶ丘駅と改称したのは、昭和34年(1959)5月。
改称のきっかけは、昭和34年(1959)に建設された「ひばりが丘団地」(中島航空金属跡地約34.5haに184棟・2714戸)の誕生による。広い台所など建設当時はモダンなものでその後の住宅団地の手本とされた。団地の名称は、かってこの地域は野原や竹林が広がりヒバリが多く、ひばりの名所だったことなどに由来しているという。
当時は最先端の建物であるとして、皇太子ご夫妻(現在の上皇ご夫妻)が昭和35年(1960)9月に訪問されて、多くのメディアに取り上げられた。団地内にメモリアルが設置され、立たれたベランダが保存されている。現在は、平成11年(1999)から建て替え事業が始まり緑豊かな住みよい街へと進化し続けている。
この団地内に昭和37年(1962)4月に「ことぶき食品」を設立したが後に大手スーパーの進出により撤退、数年後ファミレスとして成功した「すかいらーく」を創った横川4兄弟の出発地はこの団地。ちなみに、1号店のオープンは昭和45年(1970)7月7日。店の名前は、団地名と1号店の所在地府中市の鳥「ひばり」から付けられたのはご存じのとおり。
ひばりヶ丘駅から青梅街道との交差点まで2㎞ちょっとなので歩く。駅から1㎞ほど行った谷戸の交差点あたりまでは、谷戸商店街として両側に店が並ぶ。前述した田無発祥の地と言われるのはこの辺りになる。これを記述した案内板が「せせらぎ公園」前に建てられている。
谷戸小学校を過ぎると商店もまばらになり、右手に建物が見えない広い土地が目に入って来る。東大農場(東大生態調和農学機構)と田無演習林の約30haに及ぶ研究と教育の場だ(昭和4年に演習林(田無苗圃)が創設されている)。まだ、入ったことがないので、桜が見事だと聞いているが、今の季節はハスの花が有名らしい。200種以上に及ぶハスのコレクションがあり、観賞用ハスを一般公開している。(現在はコロナ感染のため中止)公開になる日が待ち遠しい。
通常は農場内や演習林を見学できるが、コロナの影響で、中止あるいは範囲を限定して対応している。また、キャンパス内の整備を令和5年(2023)3月まで行なっているため、見学に入れない状態となっている。正門から田無駅まではわずかだ。
田無から帰ってもいいのだが、頻繁に運行しているバスを利用して15分ほどで「ひばりヶ丘駅」に戻る。西東京商工会発行の「西東京市 至福の逸品」に出ている「かりん糖」を求めて北口商店街に向う。お菓子の世界では最高の栄誉とされる名誉総裁賞、これを幾つも受賞しているかりん糖専門店に寄り、逸品を買って帰る。