前回7月27日は、街歩きをすれば、至る所でご面会する地蔵・地蔵尊・お地蔵様の優しい柔和なお顔の意味するものは何なのかを、説明させていただいた。今回は、これも各地の寺院でしばしばお目にかかる、お地蔵さまとは真反対の怒りの形相で強烈に迫ってくる不動・不動尊・不動明王の何たるかをお話ししてみたい。
徳島/霊山寺 不動明王
不動明王は、元々はインド神話の三大神の一人であるシヴァ神の別名で、語源は「動かない守護者」を意味する。日本では、空海によって持ち込まれた密教の最高位である大日如来の化身ともいわれている。シヴァは暴風雨の威力を神格化したもので、破壊的な災害を起こす半面、雨によって植物を育て、その破壊と恵みの相反する面は不動明王にも受け継がれて、不動明王は仏法の障害となるものに対しては怒りを持って屈服させるが、仏道に入った修行者には常に守護をして見守る。邪悪な相手には徹底的に厳しく、人が間違った道へ進もうとした時には、正しい道へと戻れるように諭してくれる存在であり、真言宗や天台宗、禅宗、日蓮宗などの宗派および修験道で広く信仰されるようになっていって、全国各地ではお不動さん、または不動尊と呼ばれ親しまれている。迷いの世界から煩悩を断ち切り、仏の道へ導いてくれる尊い存在だ。
不動明王の像容は、右手に邪悪な心や迷う心を断ち切る倶利伽羅剣(くりからけん)を握り、左手には羂索(けんさく)と呼ばれる悪い心を縛り上げ良き心を呼び起こさせる綱を持っている。表情は厳しく、右目には天に、左目は地面に向けられ、天地眼と呼ばれて隅々まで見守ってくれている。口元では、右牙が上を向き、左牙は外を向く。この険しい表情はその慈悲深さゆえに、煩悩に苦しむ人々をも力づくで救おうとする不動明王の姿勢を表している。青黒い色の体で表現されることが多く、それは煩悩という名の泥にまみれ、もがく人々を救わんとする姿を表している。また、背中には、ただの灼熱の炎ではなく、毒を持っている動物を食べて炎は毒を吐き焼き尽くすといわれる迦桜羅(かるら)という伝説上の鳥を背負っている。迦楼羅のくちばしが見えるはずだ。人間にとっては毒である煩悩や欲望を燃やし尽くしてくれる。更に足の下には磐石が置かれ、迷いがない安定した心を表現している。破壊と再生を司り、悪を滅する仏である。真言宗では大日如来の脇侍として、天台宗では在家の本尊として置かれる事もある。縁日は毎月28日である。
江戸五色不動という、江戸幕府三代将軍徳川家光が、大僧正天海の建言により江戸府内から5箇所の不動尊を選び、天下太平を祈願したことに由来する伝説がある。五色は五行思想に基づき、五行思想の五色(白・黒・赤・青・黄)の色にまつわり、目黒、目白の現在の都内地名はそこにある不動尊に由来する。
この多摩での不動明王は…といえば日野市の高幡不動尊ということになろう。関東三大不動の一つとされる高幡山明王院金剛寺は、成田山新勝寺とともに関東三大不動に数えられており(残る一つに玉嶹山總願寺/埼玉、雨降山大山寺/神奈川、高貴山常楽院/神奈川が挙げられる)、初詣から始まり、毎月28日の縁日をはじめ、節分会、萬灯会などの年中の行事に加え、三万坪からなる敷地に織り成される四季を彩る自然の中で、あじさい祭り、紅葉祭りなどで賑わう。新選組副長の土方歳三の菩提寺でもある。
高幡山明王院金剛寺
重文不動三尊
身代わり本尊
不動堂の本尊、国指定重要文化財の丈六不動は古来日本一と伝えられ像高約2.8m。三尊で総重量1100kgを超える大迫力の不動三尊。向かって右に矜羯羅童子(こんがらどうじ)像、左に制吒迦童子(せいたかどうじ)像を従える。平成14年春修復作業が完了。不動堂の本尊不動明王は、建武2年(1335年)、不動堂が大風で倒壊した際に大破し、康永元年(1342年)に修理されているが、各像とも根幹部分は平安時代後期の作である。現在、これらの像は奥殿に安置され、その前の不動堂には、極彩色の等身大身代わり本尊が新造・安置されている。重文本尊は、長年にわたって我等弱い衆生を、邪悪なものから憤怒の様相で守り導いてきた巨像であり、身代わり本尊は更に厳しい面相で、現代人を諭してくれている。