手紡ぎの糸で織物

今回は、綿(わた)と綿織物(めんおりもの)の話をしたいと思います。

「桑都」といわれる織物の町八王子市は、江戸時代中頃から周辺の村々で養蚕、織物が盛んになり、そこで生産された生糸、絹織物は、横山、八日町の宿で開かれた市に集められ、出荷されていました。時代と共に発展と衰退を繰り返して来ましたが、現在はネクタイやマフラーなどの生地の全国有数の産地となっています。

古くに、絹織物が盛んになったとはいえ、機を織る人々が着ていたものは木綿(もめん)でした。

木綿の伝来

 木綿が日本に伝わったのは、延暦18年(799)三河の国(現、愛知県西尾市)近郊の海岸に漂着した崑崙(こんろん)人と呼ばれた人(本人は天竺人だと言っていたようです。)が、綿の種を伝えたのが始まりといわれています。その時の種は栽培したものの途絶えてしまいました。その後、天文の末(1554頃)に伝えられた種が諸国に広まり栽培されて、江戸時代には木綿は普段の衣服の材料として一般に使用されることになりました。この時代、多摩地域でも綿が多く栽培されるようになり、年貢としても納められていました。

 木綿が普及する以前の庶民の衣料は楮(コウゾ)や麻でした。麻は冬の寒さには適さず、加工のしやすさや暖かさを兼ね備えた木綿の普及は当時、贅沢が許されなかった庶民の生活を豊かなものにしてくれました。

ワタの花

 ワタはアオイ科ワタ属の植物です。ワタの花が咲いた後に出来る実から綿はできます。

 綿には和綿と洋綿があります。和綿は日本原産ではないものの、インド、パキスタン発祥の種が中国、朝鮮を経て伝わり、江戸時代から日本の中で栽培されている在来種といわれるもので、洋綿は江戸時代末期の開港以来に日本に入ってきたアメリカ大陸原産の綿です。

ワタの種蒔きから木綿の布ができるまで

 八王子で摘んだ和綿の種をもらったので、5月の初めに蒔いてみました。二葉が出るまでは心配でしたが、無事に芽が出て一安心。8月になると黄色い花が咲きました。花は翌日には紅くなりすぐに落ちてしまいましたが、しばらくすると蒴果(さくか)という青い実ができました。早く花の咲いたものは9月に入ると蒴果が弾け中からコットンボールと呼ばれる白い綿花が出てきました。一本の木が花を付ける期間が長いのでしばらくは綿を摘むことができます。猛暑の続いた今年は特に水やりが大変でした。

青い実が弾け綿花が見えました。
摘み取った綿花

 摘み取った綿花から種を取り除いて、繊維をほぐした綿をつくります。綿は糸車を使い手紡ぎで撚り(より)のかかった糸にします。できた糸は草木染めで染、手織りで木綿の布に仕上げます。

 昨年、栽培した綿は足りないので、市販の綿を使いましたが、紡いだ糸で織ったマフラーができました。

手紡ぎの糸(右端の黄色はシュロで染色)
紡いだ糸を緯(よこ)糸にしての機織り。

マフラーができました。(青い色は藍染、茶色は玉葱の皮で染色)

今年できたワタの種は来年また蒔いてみようと思います。

参考資料:『八王子織物史』 先勝義勝