5月の連休最終日、東京都保険医療局が案内している散策路の一つ、八王子市の「永林寺をめざすコース」、約7㎞を歩いてみた。
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京王相模原線南大沢駅の改札を出て、駅前の繁華街を通り、北寄りに進むとまもなく東京都立大学(都立大)南大沢キャンパスの南門に到着する。
都立大は昭和4年(1929)、目黒区八雲に創立の旧制府立高等学校が母体で、昭和24年(1949)の学制改革によって改組され、東京都立大学となった。その後、本部のある八雲キャンパスと世田谷区の深沢キャンパスが手狭になったため、広い校地を求めて平成3年(1991)に八王子市南大沢に移転した。
平成17年(2005)、当時の石原東京都知事の新大学構想によって東京都立大学に東京都立科学技術大学、東京都立保健科学大学、東京都立短期大学の3校が加わり「首都大学東京」となったが、令和2年(2020)、現在の校名に変更している。
多摩丘陵の一角に面し、緑豊かな都立大南大沢キャンパスには牧野富太郎博士が採集した植物標本を所蔵展示する「牧野富太郎標本館」が建っていることでも知られている。
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都立大南大沢キャンパスの北側に面した道を北東方向に進むと、まもなく都立大の陸上競技場に到達する。
陸上競技場では、トラックとフイールド競技のトレーニングに打ち込む多くの学生たちの姿が見られた。
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陸上競技場の東側の道を北へ向かうと、まもなく富士見台公園に到着する。
富士見台公園は八王子市柚木(ゆぎ)地区で最も大きい公園で、多摩ニュータウン計画の一環として平成16年(1994)に開園した。
富士見台公園は桜の名所として知られており、展望台からは富士山を望むことができる。連休最終日、公園は斜面を活かした大型すべり台やバーベキューを楽しむ親子連れで賑わっていた。
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富士見台公園を出て、都立大南大沢キャンパスの東端を巡り東へ向かうと大田川へ出る。
大田川は、町田市小山ヶ丘と八王子市南大沢の小山内裏公園内の調整池を水源にしているとのことで、東方へ流れ、八王子市松木付近で大栗川と合流する。
大田川に沿って緑道を東へ向かうと、まもなく峯ヶ谷戸橋に出る。
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峯ヶ谷戸橋から少し北へ進むと大栗川が現れる。
大栗川は、八王子市鑓水(やりみず)の御殿峠に源を発し、柚木街道、野猿街道沿いに大きく蛇行しながら流れて大田川と合流、多摩市と稲城市との境界付近で多摩川に注ぐ。全長15.3㎞。
大栗川に沿って柚木緑道を西へ向かって歩く。緑道には季節の花が植栽されており、観桜期には多くの人々が訪れるという。
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柚木緑道をさらに西へ進むとさんもり橋に出る。さんもり橋を渡り、柚木街道を横切り、永林寺へと向かって参道の坂道を登る。
金峰山 永林寺は、大石定久公の居館(柚木城)であったが、定久公が滝山城へ移るに至り、叔父である一種長純(いっしゅちょうじゅん)大和尚に譲り、天文元年(1532)に永鱗寺として創建したとのこと。
天正19年(1591)徳川家康公が、当寺を巡拝した折に朱印と格式を授け、赤門(総門)の建立を許可したという。また、永鱗寺の鱗を林に変え、現在の寺名に定めている。
永林寺は丘陵の斜面を活かして建てられた曹洞宗の寺院で、見上げた先に現れる朱色の赤門はひときわ目を引き、歴史の重みを感じさせる。
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永林寺の参拝を終えて、もと来た参道を下り、旧柚木街道に入る。旧柚木街道を道なりに進むとまもなく大栗川に架かる大田平(だいだひら)橋に出る。大田平橋を渡って南へ進むとまもなく今回の最終訪問地、柳沢の池公園が現れる。
柳沢の池公園は、その名が示すように、園内に大きな池がある。池は江戸時代に下柚木村の領主柳沢氏によって溜池として掘られたと伝わっている。
池の水は用水として伏樋・水路を通して大栗川沿いの水田に引かれていた。現在、用水としての使命を終えているが、今でも絶えることなく湧水が集まり、生き物たちの生息の場として、また人々の憩いの場として活用されている。
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永林寺を目指す今回のコースは、季節的に緑豊かな時期であったことにもよるのであろうか、公園と緑道を巡った後に出会った永林寺の赤門は朱色がいっそう際立っているように思えた。
参考資料
*永林寺をめざすコース 東京都保険医療局
*関連事項に関するホームページ
*Wikipedia
*Googleマップ