川口川の橋めぐり〜浅川との合流点から上流に向かって

 これまで、何回か浅川を見て歩いてきましたが、今回は、浅川の支流の一つである川口川に出かけ、橋を見ながら散策を楽しみました。

 川口川は八王子市上川町西部の今熊山を水源として東南へ流れ、川口町、楢原町、犬目町をへて、中野上町で浅川と合流する延長約14.1キロメートルの河川です。川沿いには秋川街道が並走しています。

 JR中央線八王子駅北口から中野団地行のバスに乗り、暁橋(あかつきばし)バス停で降りると直ぐに、浅川左岸に出ることができました。上流を見ると左手遠くに浅川に架かる浅川橋、右手には、川口川に架かる中野橋が並んで見えました。

 合流点から上流に向い橋巡りをスタートしました

左手に浅川橋、右手には、中野橋
浅川と川口川の合流点ー手前が川口川

 下流から上流に向かっての13本の橋

1.中野橋:欄干には「清流を取りもどそう」のプレートと、アユのブロンズ彫刻が設置されていました。

2.川口川橋:国道16号が通り、合流点辺りから見えた浅川橋に続いています。起点から0.2㎞の国土交通省の標記がありました。この辺りから川の流れは静かになり川幅も狭く浅川とは川底の様子も変わってきました。

中野橋
川口川橋

3.咳守橋(せきもりばし):歩行者用の橋。「“咳”が橋の名前に?」、面白いと思ったこの名前ですが、近くにある咳守稲荷という神社が由来のようです。「なるほど」とおもう話がありました。

  • 咳守稲荷のこと

 昔、川口川から農業用水を引いていた堰がありましたが、大雨で洪水になったことがありました。その折、桑の木を祀ったのが神社の始まりでした。その堰が咳に転じ、咳守稲荷となったということです。その後、咳が出た時にお詣りをすると、直ぐに治るということで知られています。

4.山王橋(さんのうばし):中野上町と中野山王を結んでいます。

せきもりばし
山王橋

5.新山王橋:起点から1㎞

6.原屋敷橋(はらやしきばし):流れの緩やかな川には、サギの姿、カルガモでしょうか、親子で一列に並んで泳ぐカモ、さらには、小さな魚も見えました。通りかかった方に「のどかですね、魚が見えますが、アユでしょうか?」と尋ねてみましたが、「浅川の方には、戻ったようですが、どうでしょうか?」という答えが返ってきました。 

 「川を綺麗にしましょう」という地域の小学生のポスターや標語が川沿いに貼ってあり、清流を取り戻そうという運動が活発に行われているようでした。アユが戻りますように。

しんさんのうばし
はらやしきばし

7.仲田橋(なかだばし):近くに中田遺跡公園(なかたいせきこうえん)がある。

 ☆.川口川道路橋:中央自動車道が渡る道路橋の下を通り次の橋へ。

なかだばし
川口川道路橋ー中央自動車道

8.清水橋:起点から2㎞迄来ました。

9.新清水橋:橋の袂にコンビニエンスストアが有ったので、立ち寄りお弁当を購入しました。

しみずばし
しんしみずばし

10.清水公園橋:近くに、遊歩道に隣接して「清水公園」があります。橋巡りを一休みして、公園でお昼にしました。

  •  清水公園

 八王子市八十八景の一つのこの公園は豊富な湧水を生かした池、散歩コース、多目的グラウンド、園内を展望できる東屋等が整備されています。

 公園内の池で子ども達の元気な声がするので覗いてみると、メダカ位の大きさの魚が沢山泳いでいました。

しみずこうえんばし
清水公園
清水公園橋の近く・川の左岸にあった距離標示板

11.下犬目橋:この辺りから勾配が急になってきました。

その名の通り犬目町にある橋ですが、“犬目”という不思議な名前が気になりました。

  •  犬目町ー井の目(いのめ)が犬目(いぬめ)に転訛

 犬目町は江戸期から明治期に犬目村であったときに、井戸尻(いどじり)という小字がありました。そこにあった泉には、湧水川となって川口川へ注ぐ大湧水があったそうです。『角川日本地名大辞典』(角川書店)の犬目町の項に、犬目は井の目(水が湧く裂け目)が地名に転訛したかと推定されるとし、井戸尻のことも記されています。

 昭和30年代の後半から都市化による道路工事、川口川沿い低地の埋め立て工事、川口川の改修工事などにより大湧水は地下に埋没してしまいました。現在その一部は、前出の清水公園となっています。

しもいぬめばし

12.佐貫橋:右岸には、桜並木が続いていました。

13.明治橋:高尾街道が通ります。今日の橋巡りはここで終わりました。

佐貫橋
佐貫橋辺りの桜並木
めいじばし

中田遺跡

 帰りに仲田橋の近くにあった中田遺跡公園に寄りました。

 中田遺跡は、川口川左岸の低位河岸段丘に立地します。昭和41年(1966)に、この付近一帯に都営住宅の建設が予定されたため実施された発掘調査により、旧石器時代から近世までの遺構や遺物が発掘されました。遺構の主なものは、縄文時代から平安時代の住居跡で、中でも古墳時代のものが多く、その規模も大型のものがありました。古墳時代から奈良時代に掛けての住居跡には4本から8本の柱穴、北壁側には、粘土で築いた「かまど」がありました。遺物は生活用品の土器・石器・鉄器などが出土しています。

 昭和46年(1971)市の史跡に指定されました。

 公園には、古墳時代後期(6〜7世紀)の竪穴住居跡(4軒)が埋まっています。その内一軒は復元住居となっていましたが、老朽化のため解体され現在は、遺構として整備されています。

 公園になっているので、住居の柱のあった穴跡を示す擬木にはベンチ代わりに腰を降ろしている人がいました。近くの中野団地に住んでいる方が懐かしそうに復元住居の写真を見せてくれました。

中田遺跡公園
竪穴住居の遺構

 中野橋から明治橋までの橋巡りでしたが、丘陵に囲まれた川に架かる橋の名前が、古い村の地名や自然に関わりがあることを興味深く感じました。

 

参考:『八王子事典』 八王子事典の会

   『犬目ものがたりーその歴史と伝統ー』 八王子市立陶鎔小学校 校長 遊佐順子