「山田川」の橋 上流域

前回のブログで、山田川の下流域を紹介しましたが、今回はその上流域を散策しました。

今回も子安町一丁目の「藤井橋」からスタートしました。次の橋はその名の通り歩行者用の橋「藤井人道橋」でした。そこから「観音橋」「神明橋」と進み、八王子駅南口から国道16号線へと続くとちの木通りが渡る「栃ノ木橋」へ。この辺りは子安三丁目です。

(写真は全てくりっくで拡大されます)

続いて「子安橋」を経て「竹屋橋」に至ると、左岸に昭和26年(1951)に開園した「子安公園(児童公園)」があり、散り始めた桜の下で、子ども達が元気に遊んでいました。

川は公園に沿って大きく曲がり、次の橋は、公園の前の通り・子安公園通りが渡る「堀川橋」でした。これまでの橋とは異なりコンクリート造りの欄干にユリの花のレリーフをあしらった洒落た橋でした。 

子安公園通りを渡り川に沿って歩きました。この辺りから護岸の景色が変わってきました。次の「万代橋」を過ぎて万町に入ると国道16号が通る「黄金橋」に出ましたが、上流の景色は市街地のそれとは全く異なり、護岸は整備されていない自然河川で、草木に覆われた川面には桜の花びらが静かに流れていました。

ここからは、川に沿った歩道は無く、右岸の川から少し離れた坂道を歩きました。川は蛇行し、橋から橋の距離も長くなってきました。坂道を登って行くと左手の小高い所に緑町公園があり、道端にお地蔵様が祀られていました。先に進むとようやく川が見え、「木根橋」に出ました。「木根橋」の名前は、昔、この場所に古木の根に材木を架けて橋にしたことに由来すると言われています。現在、この橋はただ道に冊を作っただけのようなものでした。川の流れる方向がよくわからないまま右岸方向に進みましたが、川から次第に遠くなり「間違った?」と途中から引き返すことになりました。

ところがそのおかげで道端に建っている小さいながらも立派な「姫龍神」という祠を見ることが出来ました。緑町の「姫龍神」は仏法守護の神とされ、季節の変わり目に祈願すると霊験あらたかと信じられており、災難を避け、幸運を招くとされています。

「木根橋」から再スタートで左岸を歩きました。竹藪と野草が茂った護岸は、市営緑町霊園の中を通り、次の橋「赤根橋」に出るまで続いていました。そこから津久井街道が通る「月見橋」へ、この橋の下流では一部護岸の整備工事が行われていました。「月見橋」は緑町と山田町の境になります。昔、鎌倉街道がこの橋で山田川を渡っていて、源頼朝が橋の上で月見をしたことから、この名が付いたということです。この話は昔話としても読まれています。ここからはまた川から離れて歩くことになりました。

次の橋「山田橋」は山田町の中心地にあり、正面にある「広園寺」の参道になっています。続く「山王橋」の名前は、部落の鎮守さまであった山王さまに由来するといわれています。この橋の袂で、源流から南と北に分かれた2つの流れが合流していました。その合流地点から100m程上流に、今回訪ねた最後の橋・「西谷橋」がありました。橋の傍には、山田川の起点であることを示した「一級河川・山田川 上流端」の標識が建っていました。

山田川の散策を終えて、帰りは昔、源流から南側へ流れた水が谷間の田畑を潤したという場所・めじろ台駅に出て、帰路につきました。

2回に渡って山田川を散策し、30余りの橋を見てきました。八王子市の南側市街地を流れる川でしたが、自然が残る上流と護岸の整備された下流とでは、同じ川でありながら全く異なった景色を見ることができました。水害を防ぐための護岸工事、橋の改修工事は現在も行われているところがあり、これから先も進めめられて行くのでしょう。自然が失われることは淋しく思います。

参考:『山田町わが街』 清水正之                    

   『八王子事典』 八王子事典の会