武蔵野台地を流れる3本の川、その水源が市内にあって黒目川・落合川・立野川となって東へ流れる東久留米市。市の北部にある黒目川を、下流の落合川との合流地から一級河川の上流端まで川沿いを散策してみた。
大正4年(1915)の武蔵野鉄道開業時からある東久留米駅を東口からスタート。東口が出来たのが平成6年(1994)だからそんなに昔でもない。真っすぐ延びる道路を800mほど進めば黒目川、護岸が整備されて水辺に降りることが出来ないが水量豊富に流れている。
川沿いには桜の並木がところどころに見られ、ちょっと脇道を行けば東久留米の名木百選がある寺院や、雑木林が残る緑地保全地域が黒目川の段丘崖上に保存されている。合流地(都県境の橋、神宝大橋)から上流端まで約4.3km(小平霊園さいかち窪の水源地から新河岸川合流地までは17.3㎞)をさかのぼって緑と水を探しながら上流へ歩く。
駅からの道が川に取りつく神山大橋(こうやまおおはし)あたりの桜並木は、ベンチもあり花見のポイントになっている。右岸側を500mはど下流へ、先ほどの神宝大橋(しんほうおおはし)に着く。近くに神山氷川神社があって、拝殿近くのヤマザクラが名木百選の樹木で、流れるような樹形がいい。
神山大橋まで戻る。橋を渡り東へ、信号まで行って左折すれば宝泉寺へのみちが続く。ヒメコマツ、カキ、モミジ、ソメイヨシノが名木百選となっている。寺の人と話が出来て崖上の墓所からスカイツリーが見えるから行ってみてと言われたので登ってみた、見えました。
寺と言えば、駅からの道を500mほど行ったところに浄牧院があって、イチョウとカヤが名木百選となっている、落ち着いた雰囲気の境内で、どちらの木も威厳を感じさせる。寺の右脇を北上し、黒目川に架る平和橋を渡れば東久留米金山緑地保全区域が近い。約1ヘクタールの緑地でクヌギ、コナラ、アカマツなどの雑木林で、周りが住宅地とは思えない。道もわかりやすく歩きやすい。
西の端から住宅地のみちを下り川に出る。近くの門前大橋付近の左岸側に桜並木があって開花期はさぞやと想像させる。左岸を上流へ進み稲荷橋付近に、東京学芸大学付属特別支援学校があって、敷地脇を北に向かう道のフェンス越しに学校の桜がつづく、この先が氷川台緑地保全地域になっている。ここは、コナラやアカマツが主で1ヘクタールほどの広さがある。ここにも名木百選のノダフジがあるが、今は、周りを雑草が生い茂り見つけにくい。高い木によりついて、どんな花を見せてくれるのだろうか。
西武池袋線に沿って道を下り、黒目川と西武線が交差するアンダー部をくぐって新大橋まで300mほど歩くと、名木百選が多い大圓寺に着く。ダイオウショウ、ニッケイ、ヒトツバタゴ、ヒメシャラ、ボダイジュ、モミジ、サワラと賑やかだ、ヒメシャラとサワラを見つけられなかった。
裏手に子ノ神社があって、ここにもケヤキ、ウラジロガシ、ムクロジ、シラカシが名木百選になっているが、シラカシは切られ、ムクロジは強剪定された姿しかなかった。その場にいた造園の職人らしき人が、訳があってね・・と話してくれた。鑑賞する側としてはとても残念に思う。
ここから約1.7ヘクタールの小山緑地保全地域がつづく、その内の4,400㎡は小山台遺跡公園となっている。日が差し込む雑木林から川への下り道を進む。
川沿いの道を散策する人が多い、カモやカワセミが見られ、清く豊富な水の流れがあるからだろう。
都立東久留米総合高校から都立東久留米特別支援学校へ向かう左岸にも桜並木が見られる、華やかな春を想像させる並木だ。支援学校から900mほどで一級河川の上流端となる、途中右岸側にあるコカ・コーラ工場の裏手を過ぎて、まもなく左にカーブすれば上流端の都大橋がもうすぐだ。
明治22年(1889)に誕生した久留米村の名称は、村内を流れる「久留米川」から付けられたという。昭和45年(1970)に市制になった時、福岡県久留米市との混同を避けるため東久留米市となったのは知るところだ。現在の黒目川は、江戸時代の文献などに「久留目川」、「来目川」、「来梅川」と書かれていたと市で説明している。また、「クルメ」が何を意味するのか諸説あるようだが「川や山腹がぐるぐる曲がったところ」と言う説が、湧水と川の豊富な市にふさわしいと説明されている。