日立中央研究所(国分寺地区)の庭園開放

日立中央研究所(国分寺エリア)の庭園開放の日程と情報や自然・国分寺駅からの行き方アクセスなど。小学校の国分寺学の参考にもどうぞ。

まずは年2回ある庭園公開の最新情報から。

発表!2025年、春の庭園公開日

日付:2025年令和7年4月5日(土) 【公式発表】
時間:10:00~15:00(入場は14:30まで受付)
※雨天中止

日立中研の庭園開放

中央研究所・研究開発グループサイトは東京都国分寺市と関東の3県(茨城県日立市・神奈川県横浜市戸塚区・埼玉県比企郡鳩山町)の合計4カ所にあります。ここでは東京都国分寺市のサイトについて述べます。

1年に2回、春と秋に1日だけ一般公開されます。とても貴重な機会です。日立中央研究所国分寺サイト(ここでは略して中研と呼びますね)は「10年、20年後を目標とする研究を行うとともに今日の課題にも取組む」という日立製作所の小平浪平創業社長の理念のもと、1942年に創設。2019年には、SDGs、Society5.0の実現に向けて、協創活動によるイノベーション創生を加速するための研究開発拠点となる「協創の森」を開設しました。中研には約940名の職員が在籍しており、そのうち直接研究開発に携わっている職員は約750名とのことです。

住所:東京都国分寺市東恋ヶ窪1丁目280番地
場所:株式会社日立製作所中央研究所(国分寺地区)
料金:無料
駐車場:なし
最寄駅:JR中央線国分寺駅・西武国分寺線、西武多摩湖線国分寺駅北口から徒歩8分

※公開は当日正門(東側門)で受け付け
※注意事項:ペット同伴不可・アルコール類の持ち込み不可。小学生以下は保護者同伴。来場は公共交通機関または徒歩で(自動車・バイク・自転車での来場不可)
※問合せ:日立中央研究所 電話042-323-1111(代表)

日立中研大池を上空から

おすすめのスポット

全体地図

全体の地図です。

日立中研庭園みどころパネル

返仁橋(へんじんばし)

「研究員たる者はこの橋を渡って所内に入ったら変人のごとく研究に没頭し、帰路するときには通常人に戻れ!」の「変人」と書く訳にいかないのでもじって「返仁」と漢字を当てていたのだと思っていたけどその真実は?

正門を入ってすぐの橋です。橋下は国分寺崖線(こくぶんじがいせん)の崖下(がけした)10m以上あります。この谷を「さんや谷」といい、崖下には2本の川が流れています。中研内の湧水由来の川と、中研の外側遠く旧国分寺市役所(恋ヶ窪駅近く)から流れて来る「さんや川」です。崖の上の東側には玉川上水国分寺村分水が流れていました。さんや川は上水を村人が使用したあとの下水と遠く恋ヶ窪駅方面からの湧水が一緒になって中研庭園まで流れて来ました。周辺の湧水と恋ヶ窪村(現西国分寺駅北東地域)の姿見池からの水が大池へ注ぎ、さんや川とともに野川の源流のひとつとなっているのです。

正門入ってすぐの返仁橋

大池(おおいけ)

大池は面積1万㎡、周囲800m、池の深さは1m~1.5m。大池は昭和33年に湧水を集めて造られた池で、今村別荘時代には無かった光景です。

美しい大池

白鳥

大池には白鳥が2羽います。平成の天皇陛下、今の上皇さまが皇太子時代に研究所を訪問された折りに下賜された白鳥が初代で、その後の代は国分寺市の農家さん(小柳さん、屋号はたばこ屋さん)がお庭で飼われている白鳥が引っ越ししてきます。

紅葉と白鳥

メタセコイヤ

「生きている化石」といわれる「裸子植物マツ網ヒノキ科メタセコイヤ属」に分類される落葉針葉樹で、メタセコイヤ属唯一の現生種です。英名では dawn redwood とよばれ(dawn は曙、始まり、兆しなどの意味、redwood は赤い木・セコイアのこと)これを元に和名ではアケボノスギともよばれる。

はじめは化石だけの植物として広く知られていて現在では絶滅したと思われていたので、1941年には化石植物と提唱されましたが、その後、中国中部で生存が発見されました。成長が速く観賞用として世界各地で植栽されています。

発見当時の話を詳しく書くと、1948年に米国の植物学者チェイニーさんが発見直後のメタセコイアの種子を持ち帰って播種育成し1949年に昭和天皇に送られました。1950年には化石植物としてのメタセコイア属の提唱者である大阪市立大学教授の三木茂さんが結成したメタセコイア保存会にも100本の苗が送られ、保存会から日本国内の研究機関や自治体の植物園に苗が配布されました。中研のメタセコイアの木もそのうちの一本です。メタセコイアの花言葉は「平和」。

韓流ドラマとしてブームの先駆けとなった「冬のソナタ」。その撮影ロケ地として有名な韓国・ナミソムのメタセコイヤ並木はいまでも観光客が絶えないそうです。

日立中研庭園のメタセコイヤ

湧水(ゆうすい)

庭園内の崖下には数か所で湧き水があります。中研では園内の湧水の一つを見ることができます。人気スポットで30分ぐらいの待ち行列は覚悟していきましょう。

流入する水路・野川の源流

中研西方にある姿見の池からは2つの水路が流入しています。まず一つは江戸時代の昔から玉川上水恋ヶ窪村分水が、現在では湧水や雨水を集めて大池西方で大池へ流入しています(この流入水路は今でも庭園公開で見ることができます)。

庭園内からの湧水も大池へ流入しています。大池の水は水位を調整する水門を出たあとで、国分寺村分水の使用後の水でもある北方から流れくる、さんや川と合流します。この川は野川(大川)と言っても良いでしょう。

前述した姿見の池からの二つめの流入水路はJR武蔵野線トンネルの地下水洪水対策のため恋ヶ窪道成窪地区でポンプ揚水した水が、姿見の池を経由して水門の下流の中央線のトンネル手前で野川に合流しています。

江戸時代からの西方にある姿見池から大池へ流入する水路

野川へ流入する「さんや川」、返仁橋から

大池の水位を調節する水門(よく見ると、右側を流れるさんや川には水門が無い)

野川の水源

ここで野川の水源となる湧水や池をあげてみますね。JR西国分寺駅方向から東急二子玉川駅方面に向かう国分寺崖線に沿って、①「姿見の池」、②日立製作所中央研究所の「大池」、③武蔵国分寺跡近くの「医王山最勝院国分寺」の境内、④「市立お鷹の道湧水園」、⑤有名な「お鷹の道・真姿の池湧水群」、⑥リオン株式会社隣りの小林理化学研究所の「リオン下湧水」、⑦リオン東方の「東急住宅の井戸」、⑧「都立殿ヶ谷戸庭園内の次郎弁天池」、⑨東京経済大学キャンパス内の「新次郎池」、⑩「貫井神社の清水の神池」、(11)「滄浪泉園」の湧水などがあります。

日立のマークの植栽

湧水の見学ポイント手前の花壇に昭和35年に小平の園芸学校の生徒たちが作成した上空から見ると昔の日立のマークの植栽がありました。いまでは模様が乱れていますが日立のマークの面影が分かります。

日立中研庭園花壇(上空から見ると昔の日立のマーク)

日立中研入口建物にいまでもある昔の日立のマーク

御衣黄(ぎょいこう)

芝生の丘へ登ると珍しい黄色い桜の花が咲く御衣黄の木があります。太い木は枯れてしまいましたが近年若木を植えました。大きくなるのが楽しみですね。

国分寺駅から日立中研へ行く

国分寺駅北口から日立中研正門(東門)までの道順

国分寺駅からの地図

国分寺駅の改札を出て左手(北口)

JR国分寺駅、西武国分寺駅の改札を出て北口(左手)の方へ行く

国分寺駅の改札を出る

パン屋さんの手前を左へ

(重要)「VIE DE FRANCE」というパン屋さんの手前を左へ行きます。行き過ぎないようね。

パン屋の手前を左へ

パン屋さんの前を歩く

階段を降りて歩道を左へ

階段を降ります。降りたところの歩道を左へいきます。

階段を降りて歩道を左へ

歩道に沿って、ガードをくぐって

階段を降りて左方法、ガードをくぐって

西武多摩湖線のガードをくぐる

名物・輪島の団子を左にみて直進

名物・輪島の団子を左にみて直進する。

日本3大プロボクサー芸能人といえば、輪島功一、ガッツ石松、具志堅用高が有名ですよね。25歳とボクシング界では遅い年齢で始めた輪島功一はそのハンデを乗り越えるため「カエル跳びパンチ」や「あっち向いてパンチ」という反則ギリギリの得意技で有名でした。数年に一度ぐらいは店頭に立つらしいです。

公開日は中研庭園内でも食べ物はたくさん売っていますが、輪島のだんごを買っていくのオツなものですよ。

左手に名物・輪島の団子を見て直進

花沢橋通り十字路を右へ

十字路にでたら右へいくと日立・中研の前の通りです。途中に縄文時代の敷石柄鏡型住居跡(しきいしえかがみがたじゅうきょあと)の展示もあります。国分寺崖線の崖上は旧石器時代や縄文時代からよいところとして人々が暮らしていました。

この十字路を右折する

日立・中研の正門(東門)

ここが、日立製作所・中央研究所(国分寺エリア)です

中研・正門

中央研究所の自然

中央研究所(国分寺地区)は2010年10月に、研究所が財団法人都市緑化基金が主催する「生物多様性保全につながる企業のみどり100選」に選定されました。中央研究所の創設は、昭和17年にさかのぼります。当時のこの辺りの地名は、東京府北多摩郡国分寺村大字恋ヶ窪です。 ここは、奈良時代に 聖武天皇が全国に建立した国分寺の一つ、武蔵国分寺の旧地に当たります。 武蔵国分寺は、武蔵野にひときわ高くそびえる壮大な七堂伽藍を持ち、奈良東大寺にも匹敵する大きな寺院であったといいますが、その遺跡は研究所の西南約1 kmに今も残っています。 研究所構内からも、往時の住居跡、さらには旧石器・縄文時代の遺跡が発掘され、この地が古代から、文化の中心だったことを裏付けています。

この由緒ある地に研究所を創設するのに際しましては、小平浪平創業社長の「よい立木は切らず によけて建てよ」という意志を受け、 構内の樹木は極力守られました。 その精神は現在も継承され、今日見る武蔵野の面影をとどめた美しい研究環境が保持・整備されてきました。 春夏秋冬、季節の移ろいのみごとさは、研究者達の心をなごませ、またそれは人と自然の一体感を生み、科学する心を育んできました。

樹齢百年余の欅やヒマラヤ杉の大木など、構内には約120種2万7千本の樹木が茂っていますが、中には化石期の植物といわれるメタセコイアなど珍しい植物もあります。 南側の大池は、昭和33年に完成したものです。 この池は、ハケと呼ばれる湧水を集めて流れる野川の源流の一つにあたり、大池も構内数ヶ所の湧水を利用して湿地に造られました。 池の白鳥、マガモをはじめ、林に群れる野鳥は、カワセミ、ヒヨドリ、カルガモなど40種を越えます。

・紹介「日立中央研究所の自然【構内の自然】」

東京都のほぼ中心、武蔵野台地の西南端に位置する国分寺市。その国分寺市を上空から眺めると一際目立つ大きな森があります。ここは日立製作所中央研究所、最先端技術を研究する民間の研究所です。敷地は約22万平方メートル東京ドーム約5つ入る大きさです。その敷地のおよそ半分を森と大池が占めています。かつてこの地は「武蔵野」と呼ばれておりコナラやクヌギなどを主体とした雑木林や田園地帯が広がっていました。高度経済成長期以降、人口増加により都市化が進み国分寺市の景観は大きく変化しましたが、ここには武蔵野と呼ばれていた頃の雑木林が現在に残されています。
この森は地域の貴重な自然環境であることから未来を担う子どもたちが古里の歴史と自然保護の大切さを学ぶフィールドとして生かされています。また近隣地域の方々にもこの豊かな自然に親しんでいただきたいとの想いから定期的に公開日を設けています。樹齢100年を越えるケヤキやヒマラヤ杉の大木。構内には約120種2万7000本の木々が茂っています。なかには生きた化石と言われるメタセコイヤなど珍しい樹木もあります。大池は1級河川である野川の源流の一つにあたり構内数箇所の湧水を利用して造られました。大池を泳ぐ白鳥やカワセミをはじめヒヨドリ、マガモ、カルガモなどこの森で見ることができる野鳥は40種を超えます。さくら・新緑・紅葉・そして雪。森は四季折々で様々な姿を私たちに見せてくれます。特に秋の紅葉はとても美しく、大池の水面に映る木々の鮮やかな彩は私たちを魅了します。2010年10月中央研究所の森は、財団法人都市緑化基金が主催する生物多様性保全につながる企業の緑百選に選定されました。小さな種が芽を出し木に育ち、やがて葉が落ち大地の肥やしとなりまた新しい木が育っていきます。わずかな湧水はやがて河川となり海へと広がりまた雨となり戻ってきます。私たちは国分寺に残る美しく貴重な自然環境をこの先を大切に守り続けていきます。

・紹介「日立中央研究所の自然【森と湧水】」

東京都国分寺市に広がる日立製作所中央研究所の森。ここでは数か所から水が湧き出ています。これは雨水がゆっくりと土に染み込み水脈となって地下を流れ、やがて地表から自然に湧き出てくるためです。その水の量は季節によって異なりますが多い時は毎秒を300リットルに達します。森で湧き出た湧水は大池と呼ばれる池に集められます。季節により様々な景観を見せてくれる大池は私たちに潤いと安らぎを与えてくれます。また魚や鳥など身近な生き物たちの貴重な生息場所となっています。大池に集められた湧水は水門から川となって流れています。これが野川の始まりです。野川はここ中央研究所から始まり周辺の地下水や川の途中でいくつもの湧水を取り込みながら、世田谷区の二子玉川付近で多摩川に合流しやがて東京湾へと注がれます。そして海水は蒸発して再び雨となって地表に降り湧水となって川へ流れます。これが自然界における水の循環です。水の循環において森は重要な役割を担っています。森は雨水を地中に蓄えられることから雨水が急激に河川に流れ込むことを防ぎ、川の水量を安定させる機能を持っています。また地中にしみ込んた雨水は土にろ過されることで、チリやゴミが取り除かれきれいな水になります。湧水は古代から人々の生活にも多くが関わってきました。その証しとして中央研究所の周辺からは縄文時代の遺跡や土器が多数発掘されています。湧水は昔も今も人々の生活に欠かせない存在です。貴重な資源である湧水、そして湧水を育む中央研究所の森。かけがえのない自然の尊さをこの森が教えてくれています。