短い一級河川
一級河川と聞けば幅広で長いイメージが浮かびますが、多摩川水系の多摩地域には2㎞に満たない一級河川が5河川あります。今回は、大栗川(おおくりがわ)支流の大田川(1,69㎞八王子市)を歩く。(他に御霊谷川(城山川支流)、氷沢川・玉の内川(平井川支流)、入間川(野川支流)がある。)
京王相模原線の京王堀之内駅北口から500mほど北に歩き、大栗川橋を渡って大栗川沿いを上流に進む。大田川との合流部には大栗川公園があって、下流方向に開放感ある景色を楽しめる。大田川の左岸、上流に向かって柚木緑道が続く。桜が多いので花見の散策にうってつけ。途中、東屋や石仏・道祖神も見られる。
緑道が切れて500mほど上流に進めば、見慣れた上流端の標識が現れる。南大沢警察署がすぐ近くにあり、ここから先は暗渠になっていてニュータウン通りに埋設されている。水源の大田切池までは、八王子市の雨水管地図を参考にして破線で青く表示した。(冒頭の地図)
起伏に富んだ丘陵地
警察の裏手に回ると、東京都立大学(以下「都立大」と言う。)の起伏に富んだキャンパスが広がっている。南側の斜面には、松木日向緑地があり地域の憩いの場として提供されている。一画に南大沢の鎮守、八幡神社がある。樹齢600年とも言われ、明治13年(1880)の神社内の火災にも枯れず「不死身のアカガシ」と呼ばれるオオツクバネガシが市の天然記念物となっている。不死身にあやかって近年参拝者が多いと聞く。
都立大の牧野標本館
ひようたん池を一回りして坂を登れば都立大の図書館脇に出る。図書館の隣の建物が「牧野標本館」。牧野富太郎博士(1862~1957)没後、昭和33年(1958)に約40万点の牧野標本が都立大に寄贈され、教育・研究のための学術資料として活用することを目的として都立大の一施設として設立された。
平成3年(1991)都立大の南大沢移転にともなってリニューアルされ現在に至っている。展示を目的とした施設ではないので、学術的に貴重な標本のため一部の標本等の展示にとどまっている。
繇條書屋
牧野富太郎が大正15年(1926)から昭和32年(1957)まで居住し研究の場としたところが、練馬区東大泉で牧野記念庭園として昭和33年(1958)12月に開園されている。今年(2023)4月から書斎が再現展示されたので行ってみた。
繇條書屋(ようじょうしょおく)《草や木が生い茂る書斎》と書かれた額が掛けられた部屋は、昭和27年~28年(1952)の様子を蘇らせている。書籍にかこまれ一身に集中している姿が浮かんでくる。NHK朝ドラのせいか約2,600㎡もある庭園なのに人で混みあっている。正門わきの大寒桜など桜の種類が多い。また、ヘラノキなど博士ゆかりの植物が生育している。
博士が育った土佐の高岡郡佐川村(現、高知県高岡郡佐川町)と同郷の田中光顕(たなかみつあき1843~1939)が経済的支援で動いたと言われている。田中光顕は旧聖蹟記念館の建設において中心的な役割をはたしたことや、宮内大臣を務めたことで知られる。また、多摩丘陵とその周辺丘陵のみに生えている固有種タマノカンアオイの採取と命名者が博士であることや、多摩には5回ほど採取などに訪れているなど、多摩との関係も少なからぬものがある。
大田切池
水源とされる大田切池に向かう。都立大の南門を出て階段を下れば南大沢駅が近い、ニュータウン通りをまたぐ橋の手前を右に折れる。閑静で緑の多い住宅地をぬけると大田切池が目の前だ。
大田川が切れるところにある谷戸と言う意味の大田切谷戸の湧水を集めて大田川が流れる。昭和60年(1985)頃周辺の宅地造成にともなって、雨水が一度に流れないように流水をせき止めて池がつくられた。これを大田切池と呼んでいる。池は小山内裏公園内にある。周囲は多様な動植物が生育し、サンクチュアリ地区に指定されて立ち入りが禁止されている。
南大沢駅から帰る前に、アウトレットもいいが近くのスーパー(○○○○グランパル)の大きいおにぎりが気になったので寄って帰る。