小金井神社(小金井市中町4丁目)の境内に石臼を散りばめて造った石臼塚が建っている。
石臼は、米、麦、そばなどの穀粒を挽く道具で、昭和20年代中頃まで庶民にとって欠かすことのできない生活必需品の一つであった。
今日では、米粉、小麦粉、そば粉のみならず、これらを加工して作ったパン、うどん、そばなどを手軽に買って食べられるようになり、石臼はいつしか忘れ去られる存在となった。石臼を知らない世代も増えているのではなかろうか。
昭和43年(1968)、小金井市の地元農家の人々が「農家にとって長年お世話になった石臼をこのまま放置しておくのはご先祖様に申し訳ない。我々の食生活の根元をなしてきた石臼に感謝するために石臼塚をつくろう」と呼びかけを行った。
これに応えて、昭和49年、農業協同組合が中心となり、農家や市民の賛同者56名から提供された上臼と下臼、合わせて94個を富士山の溶岩を主体に造った3.2mの山に散りばめて、全国でも珍しい石臼塚を完成させた。
石臼塚の設置場所は、”石臼に感謝を込めて魂を鎮めるには地元の神社の境内が最適” となり、小金井神社に決まった。
石臼は上臼と下臼がセットになっており、固定した下臼の上に上臼を乗せて、上臼の穴から穀粒を注ぎながら上臼を回転させる。
上臼と下臼の接触面には溝が刻まれており、臼が擦りあう際の効果によって穀粒が砕かれて粉になる。
臼は伊奈石 新町小麦
挽けば挽くほど 粉が出る
多摩地域の臼挽き唄
小金井神社の石臼塚に祀られている石臼は、あきる野市の横沢入一帯で産出する伊奈石(凝灰質砂岩)で造られている。大きな戦禍にみまわれたと伝わる八王子城の城跡からも伊奈石製の石臼が見つかっている。
伊奈石は、古く信濃国伊那郡から石材を求めて現在のあきる野市伊奈にあたる地域に移住してきた石工たちによって採掘、細工が進められた、という伝えがある。
伊奈石は適度な軟らかさで細工がし易いことから、石臼のほかに五輪塔、宝篋印塔(ほうきょういんとう)、板碑などが造られており、これらは多摩地域の大切な文化遺産となっている。
近年、そば、茶、コーヒーなどの石臼製粉に人気が出ているという。石臼で挽いたコーヒーは、石臼が冷たいために熱が吸収されて風味が保たれ、部屋中に香りが漂うとか。
私はコーヒーマニアではありませんが、このような芳潤な空間にひととき身をゆだねてみたい、という誘惑にかられている。
参考資料
*江戸・東京農業名所めぐり
*石臼の謎ー産業考古学への道ー
*伊奈石のあらまし 多摩のあゆみ第44号