恵比寿・えびす・戎様

お正月の七福神巡り

例年正月の7日間は、各地の寺社巡りでは、明るく華やかな衣装で着飾った七福神参拝老若男女で賑わいを見せるものであったが、現下さすがにコロナ禍の三密を避ける各筋指導があり、密集を避けるが為、本来の7日間が期間延長されたりして、さすがに盛り上がりには欠ける状況が続いたようである。

これまでに身近な神仏に関わる発祥事情、曰く因縁、歴史の移り変わり等をご紹介してきたが、そもそも、はてさて「七福神」とは何であるのか? 今回の本題は「恵比寿」であるが、七福神の由来等を改めて簡単に紹介してみたい。

七福神とは?

ご存知のように、七福神とは福をもたらすとして日本で信仰されている七柱の神であり、一般的には、恵比寿、大黒天、福禄寿、毘沙門天、布袋、寿老人、弁財天とされており、それぞれがヒンドゥー教、仏教、道教、神道など様々な背景を持っている。最澄が比叡山で、ヒンドゥー教の神である大黒を台所の神として祀り、やがて日本の土着神の恵比寿とセットで信仰され、その後毘沙門天や弁財天との三神セットとなり、室町以降には仏教の布袋や道教の福禄寿・寿老人が加わって七柱となり、西日本から日本各地に広まってきたのだといわれる。江戸時代には、ほぼ上記メンバーに固まったものの、いろいろなバリエーションもあったという。インドには「八福神」、中国では「八仙」がある由にて、八仙は八人の実在の仙人が宝船に乗る絵で描かれて信仰されたといわれ、これがわが国の七福神のもとになったのだともいわれる。

東京都港区 麻生 十番稲荷神社の宝船七福神

えびす神 ?

さて、本日の本題であるえびす神。狩衣姿で、右手に釣り竿を持ち、左脇に鯛をかかえた姿がいつものお姿である。これまで、毘沙門天(北を守る四天王のうちの多聞天に同じ)、弁財天、大黒天と続けてきて、それぞれ元来ヒンドゥー神が中国経由で変身して七福神に名を連ねたとご案内したが、今回のえびす神は、七福神のうち唯一の日本古来の土着神である。えびす、夷、戎、胡、蛭子、蝦夷、恵比須、恵比寿、恵美須など表記もいろいろいであり、えびっさん、えべっさん、おべっさんなどとも呼称されるのは、そのルーツが多様だからである。

えびす本来の神格は、人々の前にときたま現れる外来物に対する信仰であり、海の向こうからやってくる海神である。「大漁追福」の漁業神、寄り神(漂着神)の他に純然たる水の神としての信仰も存在する。外来の神や渡来の神、客神や蕃神といわれる神の一柱で、平安時代末期に市場の神として祀られ初め、中世に「商売繁盛」や「五穀豊穣」をもたらす神として信仰されるようになった。えびす講は、神無月(旧暦10月)に出雲に出向かない「留守神」とされたえびす神乃至かまど神を祀り、1年の無事を感謝し、五穀豊穣・大漁・商売繁盛を祈願する。えびす祭りやえべっさんともいわれる。

東京都品川区 荏原神社

 

神奈川県横浜市金沢区 富岡八幡宮

 

蛭子えびす

「えびす」という神の由来は「蛭子(ひるこ)」か、もしくは「事代主神(ことしろぬしのかみ)」とされることが多い。古事記・日本書紀に記された、伊邪那岐命・伊邪那美命の二柱の国生み時に、女性(伊邪那美命)から声掛けして生まれた最初の子の「蛭子」は3歳まで脚の立たない不具で、葦の船に乗せて流し捨てられた。流された蛭子はどこかの地に漂着したという信仰が生まれ、蛭子が海からやってくる姿が海の神であるえびすの姿と一致したため、同一視されるようになったといわれる。

兵庫県西宮市の西宮神社は、第一神をえびす大神(蛭児大神)とし、官幣大社の広田神社の末社の2社が統合されてできた全国えびす神社の総本宮とされ、えびすという名の神を祀った神社としては現存する記録上で最古である。この神社の縁起によると、西宮のえびす様は、古くは茅渟(ちぬの)海(うみ)と云われた大阪湾の、神戸・和田岬の沖より出現された御神像を、西宮・鳴尾の漁師がお祀りしていたが、ある夜の夢の中に、お祀りしている御神像が現れ、「吾は蛭児の神である。日頃丁寧に祀ってもらって有り難いが、ここより西の方に良き宮地がある。そこに遷し宮居を建て改めて祀ってもらいたい。」との御神託で西宮神社に移されたのが起源と伝えられている。漁業の神として信仰されていたが、この西宮は西国街道の宿場町としても開け、市が立ち、やがて市の神、そして商売繁盛の神様として、灘五郷の一つ西宮郷の銘酒と共に、隆盛を極めるようになったという。

西宮神社の縁日の店頭

 

事代主えびす

大国主命(大黒さん)の子である「事代主神」は、神話の国譲りの項で、大国主神の使者が事代主神に天津神からの国譲りの要請を受諾するかを尋ねに訪れたとき、事代主神が釣りをしていたとされることとえびすが海の神であることが結びつき、江戸時代になってから両者を同一視する説が出てきたという。七福神の絵図で、釣竿を持ち鯛を釣り上げた姿で描かれるのは、この事代主神の伝承に基づくものともいわれる。また、事代主神の父である大国主命が大黒天と習合したことにより、えびすと大黒は親子ともされる。えびすを事代主神だとする神社の代表格は大阪市浪速区の今宮戎神社である。

 

以上のように、恵比寿神を祀る神社でも祭神がいろいろと異なる。ましてや神仏分離の明治初年に、寺に祀られていた恵比寿神を神社に遷す際にも、どの神にするかという問題が生じた。

調布七福神のえびす神

今年の正月は、調布七福神参拝で、一月末に調布駅北・布田天神前の大正寺を訪れた。七福神参拝者は少なく、色紙に御朱印をいただいて、えびす像を撮影して帰った。えびす神は、小さな池の中の小さな祠に鯛を抱えて座していたが、横を向いた顔は良く見えず福の神の様相を窺うことが出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

調布七福神 大正寺の恵比寿

 

 

参考資料: Wikipedia、西宮神社homepage