府中方面から眺める多摩川南岸に、つながって長くつづく多摩丘陵を古くから「多摩の横山」とも「眉引き山」とも呼んで親しんできた。
この丘陵の尾根筋に、東西に約10㎞の「よこやまの道」がある。散策路や広場、遠くを一望できるポイントを整え自然が楽しめる遊歩道となっている。
コロナ感染でまたもやの外出自粛、付近の散歩ならと家からさほど遠くないこの道をのんびり歩く。上の写真のスタート地点から右方向へ約6㎞強のコースだ。途中には案内標識も整備され迷うことはない。
尾根筋にある「よこやまの道」は、この尾根を越える古道跡が幾筋も通っている。鎌倉古道をはじめ、都と結ぶ奥州古道や古代の東海道などがあり夢が膨らむ。その一つ奥州古道跡を過ぎて「一本杉公園」に向かう。
樹高16m・枝張り11mのスダジイの大木が見えてくると「一本杉公園」だ。2月の今は花が少なく寂しいがもう少しで、紅梅・白梅、桜の華やぎがやって来る。夏は高校球児の汗と歓声に包まれる西東京地区予選会場の球場が賑わう。例年通りの開催が望まれる。
公園の木々と池を過ぎると恵泉女学園大学の正門に着く。これから行く展望の広場でお昼を食べながらゆっくり眺めたいので、お弁当を調達する。正門前のコッペパン専門の店に入り、店で焼くコッペにピーナッツと生ハムサラダを挟んでもらう。昔、給食に出た揚げコッペもあったが次回にする。
現在の広い鎌倉街道の上を橋で横切り、上り坂を進むと国士館大学の裏手に出る、周りのコナラやクリなどの落葉樹の枯葉を踏みながら少しずつ高さを上げて行くと展望広場が見えてくる。
「防人見返りの峠」とよんで眺望ポイントとしている。「よこやまの道」の由来は、万葉集から「赤駒を山野に放し捕りかにて多摩の横山徒歩ゆか遣らむ」(あかごまをやまのにはがしとりかにて多摩の横山かしゆかやらむ) の横山から名付けられている。遠い道のりを徒歩で行かせてしまうのかと言う妻の気持ちと、武蔵野を眺望できる横山の尾根道で家族と別れたであろう姿が思い浮かぶ。
この歌は2月に交替して筑紫に遣わされた防人の歌で、武蔵国から12首が提出された中で妻が歌った6首のうちの一つである(万葉集巻二十・四四一七)天平勝宝7年(755)。
国府(府中)に防人が集められて部領使(ことりづかい)に引率され、当時の武蔵国は東山道に属しており東海道になる宝亀2年(771)の前であったが、横山を越え相模国から東海道に出て難波津に向かい、瀬戸内海を渡った。
展望広場からは下りの道を進みアップダウンを繰り返し、途中で標高144.4mの4等三角点を確認する。コナラやクヌギの冬の木立の明るさの中を歩く。桜も多くヒメコブシの大木があるなど、暖かく柔らかな日差しの春が待ち遠しい。
終点はもうすぐだ、尾根幹線に架かる「弓の橋」附近で振り返り一望する。バスで永山に向かう。