「山路きて何やらゆかしすみれ草」
芭蕉の有名な句です。この句は、学校で習った俳句でもあり、分かり易い言葉で表現されているので、情景も含めて子供の頃から頭の隅に残っているものでした。
それが、60歳も過ぎたあるとき突然に、「そうか、そういうことかもしれないな。」と、それまでと全く違った情景を思い浮かべるということがありました。
この句は、山道(暗黙裡に平坦に近い山道であることをイメージしている)を歩いていて、道脇にポツンと咲いているスミレが存在感たっぷりに佇んでいるということを詠んだものと頭に描いていたのですが、それもあるのですが、別のシチュエーションも考えられるということに気付きました。
それは、山道でも険しい上り坂を登ってきて、最後に坂を登りつめるその瞬間に、目の高さの位置で、目に飛び込んできたスミレをとらえたものとも言えるのではないか、ということです。上から目線でスミレを見下ろしてはいないのです。スミレを仰ぎ見るような位置関係です。
汗をたっぷりとかき、息の上がった状態で、やっと山道を登り切れる、という瞬間に、待ち構えるように目と鼻の先に突然スミレが現れ、山道を登り切った安堵の気持ちとスミレが労ってくれているような優しい表情によって、「何やらゆかし」という感興を催したということもあるのではないかと思ったのです。
私がそれを思ったのは、2016年4月15日、奥多摩のサルギ尾根(あきる野市)でした。実は、花はスミレではなく「イワウチワ」だったのですが。
かなりの急登を、ハーハー、ゼーゼーと登ってきて、もう少しで登り切れるという瞬間、ふと見上げると、可憐なイワウチワがひっそりと岩かげに咲いていたのです。
ちょうど、昔話の「かぐや姫」で翁が光り輝く竹を見つけた時のような光を感じました。
それまでの山道を登る苦しさは吹き飛びました。
その時撮ったのがこの写真です。