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普段の暮らしができるようになった
~奥多摩・日原街道1年4ヶ月ぶりに通行規制解除

2月20日、奥多摩町氷川から北西の日原地域を結ぶ都道日原(にっぱら)街道は、一昨年秋の豪雨によって崩落して以来1年4ヶ月ぶりに通行規制が解かれた。これを待って日原を訪ねた。日原と多摩めぐりの会との関係は、2018年3月に初回の多摩めぐりで訪ね、その後、発生した道路崩落による状況を奥多摩町森林館解説員の高橋弘さんのレポートを当ホームページ(早くても来春まで孤立状態続く~奥多摩町日原から現地報告(2019年11月21日))に掲載したことから再度日原入りした。標高約670m。白梅が咲き始めて、町内最強クラスというゲートボールチームのメンバーは、専用グラウンドで練習に余念がないほど、ようやく日常の生活を取り戻して安堵していた。

通行規制が解除された日原街道の路面。付帯工事は、これからも続く

一昨年秋の豪雨で一時、日原住民孤立

日原地域は、2019年10月12日、台風19号による豪雨で約9㎞ある日原街道は、中間点付近の平石橋付近で日原川の増水による影響で崩落した。このため51世帯の日原住民92人が孤立した。翌日、停電が復旧、数日後には水道も応急処置された。その後、崩落現場に簡易的な歩道を吊り下げて住民だけが移動できるようになったものの、昨年春ごろまでの半年ほど車の通行ができず、氷川側と日原側それぞれで車を乗り換えなければならなかった。奥多摩駅からの路線バスは、崩落現場手前まで運行されており、そのダイヤに合わせて、日原鍾乳洞を運営・管理する日原保勝会所有のワゴン車が住民の輸送にあたった。

復旧工事が進む崩落現場(2020年3月23日撮影)

崩落現場の山側に仮設の吊り下げ通路が設置された期間もあった(2020年3月23日撮影)

索道で食料輸送、消防車も空輸して警戒

食料や日用品など生活物資の輸送は、崩落現場をはさむ格好で約100m区間に索道を設けて空中輸送で氷川側からの品々を日原側で受けて、トラックで日原地域に運び込んだ。日原では待ち受ける住民たちがそれぞれの注文品を受け取っていた。

急きょ張られたロープに吊り下げて送り込まれた日原住民の食料(黒沢正直さん提供)

急病人が出たこともあった。新たな土砂崩れなどの警戒に当たっていた奥多摩消防署員が日原にいたこともあって事なきを得て搬送できたという。こうしたこともあって新たに小型の消防車を日原に常駐させる際もヘリで空輸して配備した。

日原住民の安全確保に登用される消防車も空輸された(黒沢正直さん提供)

日原森林館解説員の髙橋弘さんは「ここに勤めて5年以上になるが、これほど長期にわたる道路規制は初めて」という。片側通行できるようになった昨年春ごろ、新型コロナウイルス感染防止で都県にまたがる移動の自粛要請が出ていたことから都内の市民は5月の連休に入ると大挙して観光にやってきて日原街道は大渋滞した。多くは日原鍾乳洞を目指す人たちだった。例年、年間10万人の見学者があるが、住民の黒沢正直さんの話によると、昨年は9万人ほどが鍾乳洞を訪れたという。

町役場がミニバス2台導入

通行規制が解除された2月20日、JR奥多摩駅前から日原方面へ向かうバスは、これまでなかった定員27人乗りのミニバスが運行していた。11トン以上の大型車両(路線バス除く)が規制されていることもあって奥多摩町が日原方面の輸送確保のため、2台のミニバスを導入した。乗客の半数は川乗橋で下車した登山客だったが、終点の日原に降り立った乗客も目立った。例年、冬季は観光客が少ない時期であり、街道沿いはまばらな人出だったが、ゲートボールを楽しむ住民たちの笑声と玉を打つ音が谷あいの集落に響いていた。
黒沢さんは「通行規制が解除されて一安心。ここの住民にコロナ感染者がいないことが幸い。コロナを食い止めて元の静かで穏やかな暮らしが戻れば、さらに安心できる」と話していた。

谷間の日原集落に少ない平たん地を生かしてゲートボールに励む住民たち