奥多摩の山深い集落から羽田沖の白帆が見えた?

今回は、2021年10月30日に開催された第21回多摩めぐり「将門伝説を秘めた奥多摩鳩ノ巣に渓谷と白丸調整池ダムの魚道を訪ねる」において、ガイドの菊池氏から紹介されたエピソードについて、ちょっと深掘りをしてみたいと思います。

柳田国男著「後狩詞記」

日本民俗学の先駆者柳田国男が明治42年に出版した「後狩詞記(のちのかりことばのき)」に次のような一文があります。

之に付けて一つの閑話を想出すのは、武蔵の玉川の上流棚澤の奥で字峯といふ所に、峯の大尽本名を福島文長といふ狩の好きな人が居る。十年前の夏此家に行って二晩とまり、羚羊の角でこしらへたパイプを貰ったことがある。東京から十六里の山奥でありながら、羽田の沖の帆が見える、朝日は下から差して早朝は先ず神棚の天井を照らす家であった。此の家の縁に腰を掛けて狩の話を聴いた。

「後狩詞記」柳田国男
国会図書館デジタルアーカイブから採った表紙の画像(著者柳田国男の鉛筆書きの署名がある)

※以後の文章における地名の漢字表記については、柳田国男の表記を用います。

記載内容に関する疑問

今の奥多摩町棚澤の更に奥にあった、峯の集落の福島氏の家に投宿したことを記しているのですが、ここには注目すべきことが書かれています。
その家から「羽田沖の船の帆が見えた」と記されているのです。

まず、峯集落の位置を地図で確認しましょう。

「地理院地図」で試験公開しているVector地図の「標準+陰影」を使用して作図

峯の集落から羽田沖までは直線距離にして約70kmあります。奥多摩の高い山の山頂付近であるとか尾根筋であれば羽田沖を遠くに望むことはできるのでしょうが、日々の生活を営むための水を確保したり風雨から身を守る生活空間を保持しようとすれば、谷に近い平らな場所に下りていくことになって、そのような場所は幾重にも重なる山襞によって視界は遮られてしまい、70km先の海が見えるなどというのは、ちょっと考えられません。

その検証を行ったのが今回の内容です。

検証①-現地確認

まずは、現地へ行って自分の眼で確認することにしました。それですぐ解決するはずです。

尾根と谷との中間にある0.6haほどの平坦な土地が峯集落で、標高は約590mです。
最寄りの大きな集落は多摩川沿いの棚澤になります。鳩ノ巣駅のある所といった方が分かり易いかもしれません。
鳩ノ巣駅から峯集落まで標高差は300mあり、途中で尾根を一つ越える山道を1時間以上かけて歩くことになります。
地図でも分かるように、周りには幾つもの尾根筋が走っていて羽田沖の方角を遮っているようにも見えます。

鳩ノ巣駅から峯集落へ通じる山道

ところで、峯の集落は、昭和47年(1972)まで人が住んでいましたが、それ以後人は住まなくなり廃村となりました。
その後集落のあった場所には一面にスギが植えられ、約50年前までそこで人が生活を営んでいたとは思えない風景に一変しています。
ですから上の写真に写っている道は、かつては生活道路であったのでしょうが、現在そこを歩いているのは登山者がほとんどだと思われます。

昭和49年(1974)の峯集落周辺の航空写真(国土地理院)

この写真は離村後間もない写真であるため、生活の場となっていた場所は木が伐り払われて日の当たる空間がまだ残っていますね。

今では生育したスギの林間に、捨て去られた当時の生活用品が、半ば土に埋もれかかった状態で点々と散らばっているのみです。

唯一残された建物「日天神社」

さて、今も現地に残された唯一の建物である「日天神社」と扁額のかかった小さな社の前に立って、遠く海の方角に目を向けてみます。
残念ながら、稠密に植林されたスギが視界を阻み、数十メートル先すら見えません。
それどころか現地へ至る山道のどこにおいても、遠くを望もうとしても、山中の樹木が立ちはだかって、全く視界が開いていませんでした。

現地に立って、自分の眼で羽田沖を確認することはできませんでした。

検証②-Google Earthを使って

そこで、次に「Google Earth」の機能を使って、バーチャルに確認できないかトライしてみました。
Google Earthを使うと任意の視点からの3次元ビュー画像が大まかに作成されますので、それで現地に立ったつもりで眺めて見ようというものです。
しかし、機能上の制約で視点を地表面近くまで下げることはできず、百メートル程上空での展望画像しか作ることができませんでした。
でも、「針の穴を通すような微妙なラインで、羽田沖を見ることができるかもしれない」という感触をつかむことはできました。
右へ左へうねる多摩川の流れに向かって、左右から多摩川へ切れ落ちる山襞をうまく避けるように直線が引けそうで、その直線が武蔵野台地へ抜ければ、あとは東京湾へまっしぐら、といった様子が見てとれました。

Google Earthにより作成した峯集落上空から東京湾方面を眺めた画像
峯集落からこのようなラインで見れば山襞を避けて東京湾が見える?

検証③-カシミール3Dを使って

次に使ったのが、「カシミール3D」という地図ソフトです。このPCソフトは日本のDAN杉本氏が1994年に個人で開発したソフトウェアで、2012年には国土地理院の第1回「電子国土賞2021PC部門」を受賞するなど、とても秀逸なソフトです。
「カシミール3D」のサイト⇒https://www.kashmir3d.com/
数多くのすばらしい機能を持ったPCソフトですが、その機能の一つに、ある地点を指定すれば、その地点を望むことのできる全ての地点を地図上に示してくれる機能(「可視マップ」作成機能)を持っています。逆に言えば、指定した地点から見ることのできる場所をすべて地図上に示してくれます。
ですから、峯集落を指定してそれを望むことのできるすべての場所を表示することによって、そこに羽田沖が入っているかどうかを確認すればよいことになります。
ただしこの計算は膨大なものになり、私のパソコンではその計算処理に2日掛かりました。

次の画像がその計算結果です。ピンクの表示が理論上峯集落を見ることのできる地点を表しています。

「カシミール3D」で作成した峯集落の見える地点(ピンクで表示) 左上の赤丸が峯集落
峯集落付近を拡大(中央左上の赤丸が峯集落)
東京湾部分を拡大

結果を見ると、東京湾の一角が峯集落の可視範囲に入っています。そしてそこには羽田空港の一部も入っています。
これによって、「羽田沖の船は見える」ことが理論上確認できました。

追加の確認

もう1点確認すべきことが残っています。
それは、”朝日は下から差して早朝は先ず神棚の天井を照らす家であった”という点です。

下の図は、冬至の日における太陽の昇る方角を示したものですが、この方角がちょうど羽田沖の見える方角に一致しています。

冬至に太陽が昇る方角(地球の地軸の傾きの角度分、南に振れる)

ですから、冬至の前後においては、まさに羽田沖の方角から太陽が昇ってきます。しかも峯集落からは、羽田沖の東京湾が水平線になっており、それは真横から0.78°下方に見えますので、東京湾から顔を出した太陽の光は下から差し込むことになります。まさに神棚に朝日が射し込むという状態であったと思います。

地球を半径6,378.1kmの球とみて算出した日の出の瞬間。峯集落の水平ラインより0.78°下方の東京湾から太陽が現れる。


ただ、これは冬至前後だけで、その時期をはずれると、太陽は山々に邪魔をされてしまい、日が射し込むときには太陽は既に高い位置にあって、神棚まで照らすことはなかったでしょう。
ですから、柳田国男が峯集落を訪問したのは夏でしたので、彼自身は神棚を照らす朝日を体験することはなかったはずです。福島文長氏からそのようなことを聞いてそれを書き留めたものということになりますね。

以上、柳田国男の「後狩詞記」の一節に関して、それが事実かどうかの検証を行った結果報告でした。
(柳田国男先生や福島文長氏に対して、畏れ多くもずいぶん失礼なことをしたものです。)