高尾の自然の中に立つ日本一大きい「菅原道真公の銅像」

「高尾に道真公の銅像が?」と気になる記事が目にとまりました。それは「タウンニュース・八王子版」に載っていた「菅公さんに合格祈願を」の記事でした。

そこで、その菅公さんに会いに行って来ました。

御衣(みころも)公園」の「菅原道真公銅像」

JR高尾駅の南口から 歩いて10分程のところに「御衣(みころも)公園」という木々に覆われた自然の中の公園があります。

公園に入ると、昭和47年(1972)に建立された産業殉職者を慰霊する為の黄金の塔「みころも霊堂」が見えます。

みころも霊堂

公園の右側にある急な石段を登りきると、「なるほど日本一」と思える大きな銅像が目の前に現れました。これが菅原道真公の銅像です。台座からは13m近くもある見上げるほどの銅像です。

銅像の先に昭和58年(1983)に創建された高尾天神社 がありました。

菅原道真公銅像 身長:4.85m、総重量:6.4t、台座の高さ:7.88m

道真公銅像・顔の部分のアップ

 

「高尾天神社」への参道

「高尾天神社」

高尾の「菅原道真公銅像」が完成するまで〜「多摩御陵」との縁

「高尾に道真公の銅像が?」と疑問をもって「菅公さん」に会いに来ましたが、その答えは銅像の説明版の中にありました。

「多摩御陵」といわれている大正天皇の御陵は昭和2年(1927)に横山村(現八王子市)に造営されました。それに伴い、昭和6年(1931)に計画された「多摩御陵建設記念事業」 として「天満宮」に御信仰のあった大正天皇にちなみ、道真公の銅像が「多摩御陵」に近い所に建設されることになったようです。遠い昔「太宰府」で生涯を終えた道真公は今高尾の山から何を見ているのでしょうか?見上げる程に大きな道真公を見て、ふとそんなことを思いました。そして、以前このブログで書いた「歌舞伎」の中の菅原道真公を思い出しました。

「財団法人高尾山自然公園協会」の銅像の説明版に次のように書かれていました。

大正10年(1921)に第一次建設計画が発足し、この時は宮庁に奉納する為の銅像でした。制作は、日本橋に設置されている「麒麟と獅子」の他に「旧多摩聖蹟記念館」の「明治天皇騎馬像」、清澄山の「日蓮上人像」などの作品で知られる彫塑家・渡辺長男(おさお)氏(明治7年(1874)〜昭和27年(1952))に委嘱されました。

大正12年(1923)春、原型は完成したものの関東大震災により計画は中止されましたが、渡辺氏は昭和5年(1930)自らの力で鋳造を完成させています。

その翌年、昭和6年多摩大正天皇陵御治定記念事業による第ニ次菅公像建設計画が発足し、大正天皇は特に天満宮御信仰があったということもあり、菅公像を多摩御陵の近くに建設することに決定しました。建設地は浅川町の山口安兵衛氏より提供され、建設が始まりましたが、資金難によりまたもや建設は中止となり、銅像は浅川小学校校庭に置かれたまま時が経ってしまいました。

渡辺氏の信念により建設工事はついに昭和11年(1936)12月、現在の地に完成し、銅像の除幕式が行われました。                                                             

初沢城へ

道真公の裏側から初沢城への道案内があったので、興味を持って行くことにしました。標高294mの山頂には初沢城跡の標柱があり、地元の人が「向こうに八王子城が見える」と教えてくれました。また、冬場の葉を落とした木々の間から、高尾山、大山を望むことができました。

帰りは登った道とは別の散歩コースとして整備された道を下りました。昔、建設途中の道真公の銅像が置かれていたという浅川小学校の横を通り、高尾駅に向かいました。

初沢城跡:東京都指定史跡

山頂にあった「やすべえの森」の立て札・ 私有地を開放された山口安兵衛氏への感謝と森への思いが書かれています。

立て札の裏・ 開発の危機から「初沢城跡」を守ったことが書かれています。

遠くに見える「八王子城」

商店街の菅公さん

JR高尾駅南口の「高尾名店街」に行くと、「タウンニュース 八王子版」で案内していたとおり、受験シ-ズンの今、同商店街が受験生を応援 しようと合格祈願所が設置されていて、写真のように可愛いマスコットキャラクターの「菅公(かんこう)さん」が出迎えてくれました。

鳥居の横には絵馬も奉納されています。「皆さん、合格されますように!」

合格祈願所の設置は3月中旬頃までだそうです。

マスコットキャラクターの「かんこうさん」